長崎の悲劇から六十七年 | りゅうせんけいの「重箱の隅」

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知らないことは罪である!

本日は、広島に引き続き長崎に原子爆弾が投下された日です。

昭和二十年八月九日
午前十一時二分頃


と、記憶しております。


 広島市に続き、長崎市もまた壊滅。
こちらもやはり、9万人以上ともいわれる方々が、苦しみそして亡くなっていったといいます。

 まずは冥福を祈らずにはいられません。


 広島に投下された原子爆弾「リトル・ボーイ」は、ウランを燃料としていたのに対し、長崎に投下された原子爆弾「ファット・マン」は、プルトニウムを燃料としていたことは、皆様もご存知のことでしょう。

 核兵器の技術において、広島に投下されたタイプは「ガン型」と呼ばれ、長崎に投下されたタイプは「インプロージョン型」もしくは「爆縮型」と呼ばれ、後者が原型となり、核兵器はこの後急速に発達していくことになります。


「科学技術の進歩と人殺しは表裏一体」
と、誰かが仰っていた記憶があります。

 確かに、人類有史以来、一度たりとも戦が止んだことの無いという現実を考えると、誤解を恐れずに言えば、残念ながら「戦うことは人間の性」と解釈できてしまいかねないのは、僕の不勉強が過ぎるからなのでしょうか。

 然るに、そういった言葉で片付けてしまうには、余りに現実は酷であり、戦闘に巻き込まれ、あるいは傷つき、あるいは殺されてしまった、多数の非戦闘員のことを思うと、いたたまれない思いに駆られます。

 最後になりますが、改めて広島・長崎の悲劇でお亡くなりになった方々に、心からご冥福をお祈り申し上げます。