本日は、六十七回目の終戦記念日です。
日本(大日本帝国)がポツダム宣言を受諾し、連合国に無条件降伏。
太平洋戦争(大東亜戦争)が終わった日です。
まずは、この戦争で亡くなられた国内外の皆様に対し、改めて心より御冥福をお祈り申し上げます。
この戦争における死者は、日本人だけでも300万人以上と言われておりますので、諸外国の方々を合わせると、一体何人の方が亡くなられたのか、想像を絶するものがあります。
この戦争に対する種々の議論・見解等は、国内外を問わず未だもって甲論乙駁、収束する気配はありません。
それもそのはずで、記録の消失(焼失)や当事者間の証言の食い違い、日本と日本軍が進駐した国々、更には戦勝国・戦敗国それぞれの思惑等が複雑に絡み合い、「真実がわからない」という状態であるからです。
しかし、ただ一つだけはっきりと言えることは、
直接間接を問わず、また軍人非軍人を問わず、この戦争により、夥しい数の方が犠牲となり、また同じく夥しい数の方が傷ついた
ということでしょう。
昔のことになりますが、一部には、
「この戦争で犠牲になった日本人の数は高々300万人」
という発言があるということを耳にしたことがあります。
この発言が本当にあったとしたならば、発言をされた方の本意をきちんと酌まねばなりませんが、
僕の国語力が不足なのか、この発言の「高々」は、「たった(の)」という含意があるのではないかと勘繰ってしまうのです。
もしこれが杞憂でないとしたならば、一体どういった趣旨で発言されたのか、是非ともお話をお伺いしたいところです。
(別に噛み付いているつもりはなく、要らぬ「偏見」「反目」等を避ける為、本当に「どういう意味の発言であるのか」を知りたいだけです)
ただ趣旨はどうあれ、少なくとも家族を失い、または傷ついた方々にとっては、感情を逆撫でされた気になる方々が少なくないのでは、と思ってしまう発言です。
この点、文章というものは、大いに意を用いねばならないと、改めて自戒する思いです。
さて、先日ロンドン五輪が閉幕いたしましたが、この最中に起きた出来事、更にここ数日の領土をめぐる「騒動(とここでは書いておきます)」、そしていわゆる「戦争責任」に対する外国首脳の発言について、日本政府の対応に「不可解さ」とある意味での「苛立ち」を感じている一方、国内では強硬論が盛んであるように感じております。
外交において「毅然とした態度」は、時には必要なものであることは論を俟たない
と、先日のブログに書きましたし、当然ながら今もその考えはそのままです。
しかし、いろいろな意味で、まるで「狙った」かのような、この一連の出来事について、
何か(国内外とも)「キナ臭さ」と言いますか、裏に怪しげな「意図」が隠れているのではないかという気がしてなりません。
すなわち、表向きは「領土問題」「戦争責任」であり、勿論それも重要ですが、それに伴う国内外の世論その他の動きに乗じて、裏で別のことを企む者がいるような気がしてならないのです。
そして気づいたときには・・・となっていないか、憂慮を禁じえないのです。
「領土問題」にせよ「戦争責任」にせよ、いずれは解決せねばならない問題であることには疑問の余地がありませんし、モタモタしててもよいものではないでしょうが、
もしよからぬことを企む者がいたとすれば、騒ぐことはむしろを彼らを利することになります。
また、上述の「毅然とした態度」にしても、やたらに情の激するようでは、何かを主張するにしても相手国に「感情論」として片付けられてしまいかねない危うさを秘めている(要は「ナメられる」)と考えております。
これらのことを併せ考えますとき、主張・抗議すべきものはその必要性を感じますが、軽挙妄動してはならないと、改めて戒めた上での熟慮が強く求められるのではないでしょうか。
「過ちは繰り返さない」
我々は、そう誓ったのではなかったでしょうか。
この「憂慮」が「杞憂」であることを、心から祈るものです。