私たちは、正しいモノの見方をしているだろうか?
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先日、とあるミーティングで「言語化すると伝えたいことが伝わらない」という話題が出た。
感じていることを言語化した時に、言語化されなかった部分は感じられなかったことになるからだ。
一般的には、そう捉えられることはすごくよくわかる。
しかし、私はこれを木を見ているだけか森を見ているだけかの違いであり、言語化を繰り返すことで遠ざかるのではなく
むしろ木が増えていく感覚、つまり疎が密になっていくのではないかと訴えたことで、一定の納得を得た。
森の中にどんな木があるのかが複数わかることになることは、豊かさが如実になっていくということ。
つまり、どれだけ言語化してもしつくすことは無いのだ。
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八正道という言葉がある。
正しく見て、正しく考え、正直に話し、正しい行いと正しい生活をし、正しい目標を持ち、心を正しく安定させるという、仏教の考え方である。
大乗仏典に記載されているというが、皆様はお聞きになったことはあるだろうか?
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今回は自分のモノの見方が偏っているかもしれないということについて話をしてみたい。
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まず、人は見たい時に見たいものを見たいだけ見る生き物だということは前にも書いたと思う。
その上で、自身の体験をもとに一方的なものの見方だけをしていると、人としての器は広がっていかない。
逆に人としての器を広げるためには、たくさんの人と話をすることで広がっていく。
たくさんの種類の体験と疑似体験をし、物事の考え方や視座を経験していく。
器とは体験数で決まるのだ。
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そうすると、コミュニケーションにおいて、その人は必ずオリジナルのフィルターを通して物を見ているという前提が成り立つ。
私自身も例外なく、フィルターを持ってみているが、どうせ見るなら良いフィルターに変えていけばよい。
その人が言っていることを真に受ける前に、目の前の人はどういったイメージで物事をとらえているのかを観察するステップを身に着けていくと、人に振り回されることが少なくなる。
事の本質に近づくからだ。
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このように私たちは、視座の調整をしていくことが学びによって可能だということを知っておくとよい。
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20年も前になるが、外部講師による社内研修にて教わったことを今で覚えている。
テクニカルスキル、ヒューマンスキル、コンセプチュアルスキルの3つを同時に持つことが大切だと教わった。
テクニカルスキルとは技術力、ヒューマンスキルとは人間力、コンセプチュアルスキルとは概念化スキルだ。
コンセプチュアルスキルを身に着けるには、たとえ話がうまくなることだとも教わった。
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この3つのスキルをトレーニングで使うのは概念としては古いものになるが、私はこの20年愚直にやり続けている。
特に、コンセプチュアルスキルは、私にとって衝撃が走った概念だったので、日々のトレーニングを20年かけて積み上げて今に至る。
木を見ながら森を見るを言い換えると、マクロとミクロを行ったり来たりする、数学で言うと微分と積分の関係ともいえる。
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実はこれは陰陽五行の世界で言う、球体思考だ。
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一見すると相対性に見える世界は実は木と森の関係なのではないかとの仮説を立てると、相対性の中に絶対性を見ることができる。
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・文と理は相反しない、むしろシナジーを生む
・実と虚は相反しない、むしろシナジーを生む
・感じると考えるは相反しない、むしろシナジーを生む
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と捉えられると、新たな世界が見えてくるとは思えないだろうか?
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これはスキルなので、トレーニングで誰でもできるようになる。
当然、私の考えが正しいとは言わないが、一つのモノの見方としてとらえていただければ幸いだ。
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どちらか2極の相対性の世界観を抜けて、絶対性の世界観を生きていく世界を皆様と一緒に探求出来たら、私は嬉しい。
見える世界が変わってくると、生き方も変わってくる。