最近、死について突き付けられることが多い。
養老孟司先生の「バカの壁」から引用すると、この社会は死を遠ざけている。
だからリアリティがなくなっている。という一説がある。
おかげで、自身が体験するときには、すごくインパクトの大きいライフイベントになりがちだ。
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先週は知り合いが、乳がんで亡くなった。
50台に入るか入らないかの年齢で、がんが見つかってから急速に悪化してあっという間に亡くなられた。
一般的には、癌の進行は若いほど早い、細胞分裂が激しいからだ。
その方とあまり親しくはなかったが、娘がお世話になっていた方だったので、私の家族には衝撃が走った。
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死は一般的には、四苦八苦に表現される苦しみに位置付けられる。
しかし、実際には怖いものではない。
睡眠と一緒で、寝て意識がなくなるだけ、起きないだけの話だ。
意識が途切れてしまえば、何も感じることは無い。
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その前に来る肉体的な苦しみはあるが、それすら仏教では勘違いだとされている。
即身成仏になれるかどうかはさておいて、要らない誤解をすることそのものをまずは
取り払うことで、本質を見られるようになる。
一般社会通念に、振り回される必要はない。
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アフリカに駐在していた医師の話を聞いたことがある。
タナトロジーに造詣が深い医師の方で、現在は東京で活躍されている方だ。
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とあるアフリカの国で医療活動をしていたそのお医者様は村の方との雑談を欠かさなかった。
いつもは、ある家の前の軒先で一日中椅子に座っていた、老人男性が今日は見当たらなかった。
不思議に思い、家族の方に声をかけた。
家族からはこんなコメントが返ってきた。
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あぁ、おじいさんなら昨日亡くなったから、その玄関先に埋めてあるよ。
おじいさんはずっと、玄関先に座って、うちを守ってくれていたから、その場所に埋めたんだ。
今も、私たちを守ってくれていると思うよ。
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人は皆、関係性の中で生きている。
その関係性の中で、職種にならない役割がある、そのことを教えてくれた一説だと感じた。
何もお金になることだけが、必要な役割ではない。
むしろその他の、一見するとどうでもいいことにこそ、他人から見ると価値があるものかもしれない。
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死についての考察を深めていくと、今生きていることがとてもありがたいと感じる。
いや、むしろ生かされているのではないだろうか?
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そう考えると、見える世界が変わってくるかもしれない。
今日も生ある甘美な時間を過ごせることに感謝をして。