今朝も、瞑想の時間の後に近隣を散歩し朝のクリアな状態になっている中で
降りてきたものを、思いのままに書き綴っている。
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この、「降りてくると」いう感覚を皆様もお持ちだろうか?
あるいは、聞こえてくる、イメージが見えるという言い方もできると思う。
思考で考えたものではないところから、ふと降りてくる感覚を皆様も体験されたことがあるのではないだろうか?
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仏教でも密教でも陰陽五行でも、本当に大切なことは言葉にできないとされている。
なので、シンボルとして寺を極彩色にしたり、音を鳴らしたりすることがある。
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「感じろ」という領域を暗に言っているのだと師から教わった。
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このグループ内は私を通じて宿命を読ませていただいたがほとんどの方々だ。
宿命を読み込むと、ご自身の気づいていない部分や、すでに体験したことが多く気づかされる。
それにより、自己発見をし本当に大切な方向に向かわれる方も多い。
私自身も、何かの折には自分の宿命を見返すことあり、指針にしている。
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しかし、私自身は究極的に、宿命はどうでもいいと思っている。
それよりも大切なことがあるが、まずはわかりやすい便利なツールとして使っている。
この瞬間に大切なことは、五行のエネルギーの循環がなされ気が満ちているかにフォーカスをする。
ご自身の可能性を感じて、一歩でも何か前に進む起因になれたらいいなぁと思い、宿命を読ませていただいている。
今、この瞬間大切なことをお伝えすべくお話をしているので、私自身の視座が変われば、また放つ言葉も変わり、受け取られるものも変わってくる。
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言い方を変えれば世の中は、モノとコトに分けられる。
モノは目に見えるが、コトは目に見えない。
この目に見えない中に本当に大切なことが隠されているともいえる。
その非言語の中に大切なことを読み取り、感じ取ることが大事なのだと言い換えられる。
ある種の、投影ともいえるが目に見えるものは全て自分だという感覚になることらスタートする部分もあるのではないか。
その中でつながりを感じられたとき、すべてが等しく美しく完璧に見える世界がある。
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その境地に立てる機会は少ない。
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私自身は、言葉を概念化したときに数%は思いが置いて行かれる感覚がある。
歳を重ねるごとに、言語化、概念化の能力は磨かれてきて、思いを言い表せることはある種の特殊能力という風に見えている側面はある。
しかし、数%が置いて行かれることが怖くて、言語化しないという選択は無い。
思いが陽で言語が陰なら、等価交換され思いも強化されるからだ。
敢えて言葉にしていくことで、思いがにじみ出る、その世界観を夢見ている。
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皆さんにとって、本当に大切なことは何だろうか?
それを感じ取っていらっしゃるだろうか?
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皆さんの大切なことに触れられる可能性を心から信じて。