『ぼくんち』も無事千秋楽を迎えたことを書いていなかった。
今回も原作の漫画から新たな発見があった。
「人は神様が許してくれるまで何があっても生きなくちゃいけない」
原作者で漫画家の西原理恵子先生と。
12月、1月、2月と怒涛のような公演も幕を閉じたわけだが、
やはり佐藤仁の死はわたしに新しい死生観を持たせてくれた。
『純平、考え直せ』の中に大学教授の西尾が話すセリフで大好きな一節がある。
「若者が死を恐れないのは、人生を知らないからだ。
知らないのは、ないのと同じだから、惜しいとも思わない。
我が子を抱いた感動も、大業を成し遂げたよろこびも、
肉親を看取った悲しみも、旧友と語り明かした温かみも、
ろくな経験がないから、今燃え尽きてもいいなどと平気で言う。
まったく若者はおめでたい生き物だ。
おまけにやっかいなのは、
渦中にいるものはその価値がわからないということだ。
健康の価値は病気にならないとわからないのと同じで、
若さの価値は歳をとらないとわからない
……まったく、神様ってのはタチが悪い」
これは奥田英朗先生の小説のまんまのセリフである。
色んな小説を読むがやはり奥田先生の小説は群を抜いて痛快で面白い。
佐藤が亡くなって、人はいつ死ぬかわからないということを実感させられた。
病気でなくとも、もしかしたら明日、交通事故で死ぬかもしれない。
そんなことを考えながら、
今やれることはやっておこうと、
いつか広島でロケや舞台をするときの為に
今、話題の安芸高田市の石丸伸二市長に会いに行ってきた(笑)。
配信で流れる厳しい姿とは真逆な優しく腰の低い、
まさに温厚篤実(おんこうとくじつ>DOGメンバーの為にカナをふっておく)
な方とお見受けした。
どう見たって老害としか思えない議員たちや
偏見報道のある新聞社とやりあう姿は
ドラマさながら、リアル半沢直樹である(笑)。
中途半端なテレビドラマを見ているよりよっぽど面白い。
ていうか稽古場や映画の現場で居眠りしているスタッフいたら放り出すし、
若いスタッフを恫喝するチーフがいたら
わたしがパンパン(オール巨人師匠風に)やな(笑)。
昭和で何が悪い。
わたしの祖父はお国の為に第二次世界大戦に行ったのだ。
わたしの母は愛媛の大三島から広島に原爆のキノコ雲が上がるのを見ている。
「すごくキレイだった」などとたわけたことを言ってるが(笑)。
いつか広島県安芸高田市で映画のロケをやりたい。
石丸市長に、(わたしは映画や演劇しか出来ないが)
いつかこの腐った日本の政治に
一矢報いてほしいものだと切に願うばかりである。
安芸高田市長室で石丸伸二市長と。