久々に休みを堪能 | 森岡利行オフィシャルブログ「監督日誌」powered by Ameba

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脚本家
舞台演出家
映画監督
プロデューサー
文教大学情報学部メディア表現学科非常勤講師

正月に実家へ帰った際、

中学時代のさしんを写メしてきた。



森岡利行「監督日誌」




これは中学三年生の私と国語の吉本先生。

修学旅行の時に撮った。

現在は中澤という名前になっている。





私が授業で作文を提出すると、

「あんたは何か違うね……何か才能を感じるわ」

と言われていた。





その時は、まさか自分がこーいう仕事(文章で食べる)に就くとは

夢にも思わなかった。



なんか『女の子ものがたり』の主人公みたいだが、

確かにそうだったのだ。

先生は映画を観てくれたらしく、手紙をくれた。




中学生時代のことはけっこう忘れたが、

この先生と、剣道部の顧問で美術の奥田先生のことは

よく覚えている。




森岡利行「監督日誌」



これは暑中見舞いを奥田先生に出した返事。

私は森田健作の青春ドラマ『おれは男だ!』に憧れ、

剣道部に入ったのだが、もう防具が臭くて、

竹刀で頭叩かれるのが痛くて、

夏休みに入る前にケツを割ってしまった(辞めるという意味)のだ。





のんびりマンガを読んで暮らしていたところにこの葉書をいただいた。

二学期に入って練習に参加するようになり、

なんとか同級生に追いつき、市の大会で優勝出来た。





その後、高校に入って一年で初段、二年で弐段、

三年で参段をとり、四段をとる手前で、自動車事故を起こしてしまい、

大阪から逃げるように上京した。





まさか自分が映画やテレビの世界に入るとは全く予想しなかった。

全てはあの自動車事故(速度を出しすぎて横転させた)がきっかけなのだ。

幽体離脱も経験した(苦笑)。





そんなことを思い出しながら久しぶりのお休みを堪能したのだが、

弐冊本を読んだ。






『天才をプロデュース?』森昌行著





森岡利行「監督日誌」





これから映画の企画に立ち向かおうとしている私に

力強い言葉があった。





“映画はソフトとして残っていくものだというごく当たり前のこと。

ハードは消費されることによって形が崩されていくのに対して、

映画というソフトは百年前の作品でさえ今も鑑賞され続けています。

映画は芸術であり、私たちはいつも芸術を作り出しているとまでは

言いませんが、少なからず映画というのは、それぞれの国の文化を

映し出す鏡でもあるわけです。”






なんか鄭義信さんの『映像都市』の台詞みたいだが、

まさに映画には作品が生まれたということ自体にも意義があるのだ。



『ザ・ゴールデン』 柴門ふみ著


森岡利行「監督日誌」


“人間には

お金が欲しい人

人脈が欲しい人

なんかがいるけれど

私たちはモノを作りたい人なんだ。


カリスマも

アイドルも

PもDもADも

同じ……

「モノを作りたい」人

なんだ”




『八日目の蝉』 角田光代著





そうか……光代か……うちの祖母と

同じ名前だったンだ。

この人も好きな作家だ。


NHKのドラマはまだ観てないのだが、

小野晴子と中原和宏がロケに行っていたので、

来週観よう。


森岡利行「監督日誌」

この小説を読んで、

ジョゼッペ・トルナトーレ監督(『ニュー・シネマ・パラダイス』)の

映画『題名のない子守唄』を思い出した。




“人はみんな違う。持っている才能も、

与えられた環境も違う。金銭的裕福が必要な人も、

そんなものがなくとも幸福を感じる人もいる。

その違いを認めなければ、

ゆたかさというものはほど遠いように、

私には思えてしまう。

母になったとしてもならなかったとしても、

何かを持っていたとしても持っていなかったとしても、

そんなことに左右されない強靱さを、人は、私たちは、

持っているはずである。”




角田氏が新聞連載終了後に寄せた言葉である。




私も常々、そう思う。




「幸せってナニ? 不幸ってナニ? えーやんそんなん

どーでも」……『女の子ものがたり』の中で波瑠演じる

きみこに言わせたセリフである。




みよ、この舞台というモノ作りに携わった人々の

幸福な顔を(笑)。



森岡利行「監督日誌」