STRANGER -15ページ目

道標

何故なのだろう。
いつも頭を抱えて悩んでる。
人はそういう生き物なのかもしれない。
かといって好きで悩んだりするような人はいない。
誰でも楽な道を選びたいものだ。

ただ道はずっと平坦なわけではない。
坂道があり、砂利道があり、迂回しなければならない時もあるだろう。
でもそれも通る道であって
避けて通る事は出来ない。

泣いても笑っても一度きりの人生の中
巻き戻し修正が出来ない事は知っているのに
失敗ばかりしてる。
誰かは失敗をしてもいい
失敗は成功の元だと話す。
確かに好んで失敗するような人はいないだろう。
誰しもが全ての成功を望んでいるはずだ。

しかし失敗をせずに成功している人がこの世にいるだろうか
失敗していなくても、辛く高い壁や長い坂道を登って頂上に辿り着いているはずだ。

成功だけを知る人は困難を嫌う。
苦労を知る人は成功だけを望まない。
それは苦労の中に希望の光があること知っているからなのだ。
辛い所を通らなければ分からない幸せがあるのだ。
だから失敗を恐れず、苦労を嫌わないのだ。

希望への道標。
それは苦労と忍耐の先にある。
今立つ位置が下り坂なのか上り坂なのかは分からない。
もしかしたら壁の前にいるのかもしれない。
いつまでも光が見えなくても、希望の旗が遠くにあっても、道標はすでにあって行く道を示しているのだ。
後は自分で踏み出すだけだ。

破片

悲しい世界の記者になろうか。

止めどもなく流れる涙の果てに人は何を見るだろうか。悲しみの中で光を得る事を求め、何より助けてもらえるだろうという軽率な考えで動き、悩み、繰り返す。

右足の使えない戦士にもいつか助けが来るだろうか。甘い思考のままではいつまでもそのままだ。

心を無くした人間に破片を残した神の愛を何故無駄にしようとするのか。

理屈を考え気付かない人間はまだまだ不完全な心が疼く痛みに耐え兼ねて涙を流す習性を身に染みて覚えた感覚はいずれ自然のものと位置付けて身体の中で蠢いている。

押し潰されそうな程の圧力に負けじと戦う時にこそ、力は現れ働き出す。

心の破片を持つ者が、自身の力で切り開いて行けるように、日々の鍛えによって未知は開ける。

書かれた記事を読んだ時認めるか否かは自分次第。物事の見極めについて情報を集め、整理し明日への糧とし今日も歩みを進める。

天使

人間の創造によって生まれた神の使い

この世の中に天使はいない。何故だか何かにすがることを忘れられず、神を創造し、使いをたてた。
人間は神より創られたものだとするならば、生きる人間一人一人が天使に成り得るのでなかろうか。神との繋がりを忘れた人間はまさに羽根の折れた堕天使なのかもしれない。だから人は天使にもなり悪魔にもなるのだろう。

誰かを好きになる時、なった時に人はその相手を私の天使だと形容する。それは恋愛を通して、一人の人を愛する事で、過去に背負った天使の片鱗をそこに見るということになるからなのだろう。また子供が出来た時、人はその子を天使だと形容する。それは一人の子供を愛する事で、紙との繋がりの欠片を思い出すからなのかもしれない。

人が天使にもなり悪魔にもなる。それはこの世に漂う、聖なる力や悪したる力やそれらに付随する環境や価値観・思想・思考によるのだろう。
願わくば天使となり、死して天に昇がることを願う人は少なくないはずだ。

価値を見出だす事が全てではない、またそれを求める事も全てではない。
受ける事ばかりを考えず与える事を考えなければいけない。与えるので受けられる恩恵に感謝する一連の流れを自分が得てして出来たものだと思わず、何ごとにも感謝することを忘れてはならない。