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軽きに泣きて三歩歩まずのこころ

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ニクソンのことについて言いますね。
なぜニクソンのことを言うのが大切かというと、ニクソン大統領は1967年に
アイゼンハワー大統領と相談して、あ、ニクソンは大統領候補だったわけですね、
だけどもアイゼンハワーとニクソンが相談してどういうことを決めたかというと、
これは主にアイゼンハワーがニクソンに勧めたんですけれども、
日本に核兵器を持たせて、日本を独立させて国際政治の一つの極としたほうがいいと、
いい加減占領を続けるのはやめたほうがいい、とニクソン次期大統領に言ったそうです。
ニクソンはそれに賛成して、Foreign Affairs に “Asia after Vietnam”という
論文を発表して、日本を独立国にしようと、核兵器を持つ独立国にしようと
議論を始めたわけです。ニクソンは大統領選挙に勝った後、1969年1月から
1971年7月までの2年半にわたって日本の佐藤栄作首相に何度も核を持って
自主防衛しろ、核を持って自主防衛して国際政治の独立した極として、polarですね、
独立した極として行動するようにしろと言ったわけです。

しかし、佐藤栄作は、佐藤信二さんと同じように、ものすごく頭が悪い人でしたから、
ニクソンとキッシンジャーが言っていた、世界を五極構造にしてbalance of power
外交を運営しようとそういう理屈がまったく理解できなかった人ですね。
「何言ってんのこの人は」と。で、佐藤栄作は、岸信介から、日本はアメリカに
しがみついていればいいんだと、アメリカの属国になってアメリカに守って
もらえばいいんだと(聞いていて)、だからそういう議論しかできないものですから、
キッシンジャーとニクソンが、国際政治をアメリカ、ロシア、中国、ヨーロッパ、日本、
この五極の独立した極が balance of power 勢力均衡ゲームですね、これを演じれば
よい(という)そういう理屈が佐藤栄作にはもう、完全に理解の範囲を
超えていたわけです。思考の枠を超えている。

16世紀から20世紀まで大国と言われる国が常に4つか5つか6つあって、その
4つか5つか6つが balance of power ゲームをやっているという、そういう
基礎的な知識すら佐藤栄作はまったく知らないわけです。ですから
ニクソンとキッシンジャーに世界を五極構造にして balance of power 外交を
やろうなんて言われても、佐藤栄作は、「この人は何を言っているんだろう」とか、
「なぜ突然こんな変なことを言うんだろう」とか、「日本はアメリカにしがみついて
いてアメリカに保護して貰えばいいんだ」とか、「それだけ考えていればいいんだ」とか
「お兄さんの岸はそう言っている」とか、「だから僕はアメリカにしがみついて
守って守って守ってちょうだい、と言ってアメリカに協力していればそれで
いいんだろう」とか、それ位の思考力しかないわけです、佐藤栄作は。
だから、ニクソンとキッシンジャーの言っていることは全然理解できない、と言って
いたわけです。

それで、アメリカの国務省とCIAとペンタゴンと、特にCIAと国務省は、
佐藤栄作がすごく頭が悪くて、五極状態の balance of power 外交なんていうのは
理解できないから、必死になって佐藤栄作に対して、「あなたはニクソンの言っている
ことを誤解している」と、「ニクソンは、そんな、本音では、日本に核を持たせて
独立させるようなことは全然考えていないですよ」と、「ニクソン大統領の言っている
ことを本気にしないでいいです」と、「あなた、ほら、ここでちょっと日米間の
コミュニケーションの誤解があるだけで、ニクソンの本音はそんなことでは
ないです」、で、国務省とCIAは「ニクソンが本当に望んでいるのは、日本を
非核国家にすることです」と、「だから、あなたたち日本人だけは核を持たない
状態を続けてください、そうすれば日本はうまく行きます」と(言い籠めた)。

だから、ニクソンの言ったことと、当時の国務省とCIAの日本担当官が佐藤栄作に
言ったことと全く180度逆なんですよ。真逆のことを言ったわけです。
で、佐藤栄作はこの国務省とCIAの言うことは理解できたわけです。
だから、彼らを喜ばすために、佐藤栄作は非核三原則というものを持ち出して、
日本は絶対に核を持ちません、ということを公式の政策としたたわけです。
これは勿論ニクソンが望んだこととは正反対の方向に突っ走っていたわけですね。

当時、佐藤栄作に、日本だけは核を持たないでいいんだと、非核三原則でいいんだ、
とアドバイスしたのはCIAと国務省だけではなく、中曽根康弘もそういうアドバイスを
していたそうです。中曽根康弘はCIAと親密な関係があります。中曽根康弘は
いつもCIAに協力していました。だから中曽根はきっと佐藤栄作に非核三原則をやれば
いいんですと吹き込んだと思うのですね。
だから、中曽根にしても、岸にしても、佐藤栄作にしても、アメリカの deep state、
軍産複合体とCIAと国務省、この deep state の言うことを聞いてりゃいいんだ、
という方向に進んだわけです。

ですから、1969年1月から1971年7月の2年半にわたって、日本は自主的な核抑止力を
持って本当の独立国になるというチャンスがあって、アイゼンハワーもニクソンも
それに賛成してくれたのに、佐藤栄作のお馬鹿さんはみすみすそのチャンスを
見逃したわけです。

(その4につづく)