パーティー文化 | 軽きに泣きて三歩歩まずのこころ

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先日、カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞して、テレビ、ネットで
随分取り上げられた。私も、だいぶ昔になるが、「日の名残り」の映画を
観て大変感銘を受け、何冊か本を購入したこともあって、受賞を大変喜んだ。
受賞に関するネット記事を見ているうちに、イシグロ氏が少年時代に
誕生パーティーに呼ばれた際、子供たちと一緒にテーブルに座っている
ところを撮した写真が紹介されていた。(何か問題があったのだろうか、
もう一度見ようと思ってネットを探してみたが、残念ながらもう見つから
なかった。)

イシグロ氏は、他のイギリス人の子供と同じようにスーツにネクタイ姿だった。
母親が気を使って目一杯の正装をさせたのが写真から感じられて少し眼が
熱くなった。しかし、ここで言いたいことは、そういうことよりも、
イギリスでは今から50年以上前に、子供のパーティーに正装して
集まるという、そういう文化があるということである。私は、これは文化であって、
単なる慣習にしてしまうのでは精神が貧困になると思っている。
子供の頃から、相手と言葉を交わして、自分の意見、感想を述べられること、
相手の意見を聞くことができること、それに対する自分の意見が述べられること、
つまり、コミュニケーションを子供の水準で訓練する機会が与えられる
パーティーが存在するというのは何と素晴らしいことではないかと思うのである。

私の子供の頃にはパーティーらしきものはなかった。雛祭りや鯉のぼりの時期に、
母親が草餅や柏餅を沢山作って、それを近くの子供を招いて一緒に食べさせた
くらいだろうか。小学校に入ってからは、町内会の先立ちの人が、子供会を
開いてくれて、お菓子を食べ、歌を唱ったりして、それなりに楽しい数時間が
過ごせたが、5,6 人で会話を楽しむようなパーティーではなかった。
当時としては当然だろうと思う。友達の家に上がって遊ぶということは、
友達も回数もかなり限られていた。

私の娘達は小学生の頃、誕生会をそれぞれの家で開いていたようだが、
ケーキを食べて、ジュースを飲んで、後は皆でゲームをして楽しむような
そういうパーティーだったと思う。会話が弾むというほどでもなかった
ようだが、それでもそういうパーティーが開けたのは良かったと思う。

今の子供達はどうだろうか。あるかもしれないが、昔に比べて少なくなって
いるような気がする。

中学、高校の頃になると、私の場合、こういうパーティーのような集まりは
ほとんどなかった。登下校のときに、少し話をする程度で、少し内容のある
会話をすることなど滅多になかった。

大学で下宿するようになってからは、月に2,3回程度、あるいはもっと少ない
かもしれないが、お互いに下宿を行き来して、小一時間ほど話すことがあり、
互いにどういう知的レベルであるのか、知ることができた。知的レベルの
高い友人と話した後は、大いに勉学意欲が鼓舞された。少なくとも私に
とって、常に私を鼓舞してきた相手はこうして直接話を交わした
友人、知人だった。高校の時には、残念ながら、そういう機会が
ほとんどなかった。だから、大学に入って、自分が知的に遅れていることに、
つまり、渡部昇一氏の言葉を借りると、遅進児であったことに愕然とした
思い出がある。

では海外ではどうだろうか。イギリスでは上に述べたイシグロ氏の子供時代の
パーティーの写真から、少なくとも、日本よりは会話の弾んだパーティーが
ありそうな気がした。

私が30代の時に教わった英会話の先生はイギリスで国語(英語)を教えて
いた先生だった。その先生から聞いたことで、home warming party という
のがイギリスでは普通にあることを知った。これは、別のアパートなど
(イギリスでは flat と言うらしい)に引っ越した時など、紹介もかねて
知人をそこに呼んで、パーティーをするらしい。そうすると、訪問客は
煙草の灰は落とすは、ポテトチップは散らかすは、無茶苦茶散やらかすらしい。
と言っても、限度を心得ていると思うが、しかし、そうすることで、
この先、居心地の良い住居になり、友人知人にとっては訪問しやすい
住居になるという話だった。垣根が取り払われるという感覚はわかるような
気がした。そういうパーティーもあるらしい。

サンフランシスコに行った時に、ユニオンスクエアという
公園に通りを挟んで向かい合っているホテルに泊まったことがある。
サンフランシスコでは良く知られているホテルなので、泊まった方も
いるのではないかと思う。そこで、金曜の夕方、5時頃だったと思うが、
夕食に出かけようとしてロビーに出たら、正装した男女が続々と集まって
いるではないか。子供まで蝶ネクタイのスーツ姿、女性は子供まで
皆イブニングドレスを着ている。おおっ、なんだこれは、と驚いてしまった。
後で知ったが、金曜の夜は、パーティーがあって、家族が一番いいドレスを
着て参加するらしい。ああ、良い文化だなあ、と羨ましく思った。

アメリカのウェスティンやマリオットなど、大きなホテルの2階や3階には
だだっ広い広間があって、毛足の長い絨毯が敷かれ、高い天井には
綺羅びやかなシャンデリアがいくつも連なっている。これを見ていると、
いやあ、アメリカは裕福だなあ、と溜息が出た。そこで、大人も子供も
一張羅のイブニングドレスを着てダンスを踊るのだ。素晴らしい。
羨ましい。芋虫でも、最後の1週間は蝶になって羽ばたく。
普通の日本人だって、こういうことがあっても良いのではないか、
とつくづく思ったものだ。

私の女房は、スーツを買ってからまだ2回しか着たことがないという。
そんなことでは、高いスーツがなおさら高くなってしまう。
一方のアメリカでは、女性はスーツを着て、あるいはイブニングドレスを着て、
目一杯おしゃれをしてパーティーに毎週参加することができるのだ。
これは素晴らしいことではないかと思う。そこで気の合う知人友人と
語らい、あるいは新しい知人を紹介してもらい、知人のネットワークが
大きくなることだろう。精神空間が広がる感覚が感じられるではないか。

日本には残念ながらこういうパーティー文化はない。パーティーといえば、
政治家のパーティーをすぐ思い浮かべるが、パーティーといえばその通りだが、
何やら腹立たしい。結婚式の披露宴、送別会、あるいは告別式など、
正装して集まるが、少し趣旨が違う。最近はお見合いが無くなったので、
代わりに男女が知り合うきっかけを作る会合を企画する団体もあるらしい。
しかし、これも底意が見えていて、パーティーらしくない。
女子会というのがあるらしいが、仲の良い女性が集まるという点と、
あまり着飾らない(ような気がする)という点を除けば小さいパーティー
の雰囲気がある。日本ではこれくらいだろうか。

私はこういうパーティー文化が人間を豊かにしてくれるのではないかと
思っている。パーティーに出席したら、お互い自分の経歴を隠したりせず、
お互いによく知り合い、触発され、触発すれば良い。互いに切磋琢磨する
機会があっても良いし、そういう人を身近に見聞きすることも良いし、
とにかく、お互いに色々な人が互いに認識できて、そうすることにより、
具体的にも、抽象的にも、自分が豊かになれば、つまり精神空間が
豊かになれば、それは素晴らしいことではないかと思う。

私がまだ独身の時には、労働組合の青年部が主催して、若い男女のための
ダンスパーティーを開いてくれた。青年部の人達が交代でボランティア活動
をして開催してくれたのである。どこかの会館の大きな会議室を借りて広間を作り、
ステレオやスピーカーは知人から借りて間に合わせた。私も出力の大きな
アンプを持っていたので貸したことがある。大変だったはずだが、楽しい
思い出しか残っていない。

今はこういうパーティーはもうないのではないかと思う。今の若い人たちは
昔と比べて相対的に収入が減って経済的な余裕がないのだと思う。
経済的に余裕がないと、不思議に精神的にも余裕がなくなってゆくものだ。
だから、今の若い人たちは気の毒だ。

日本でも、パーティー文化とは言わないまでもでも、こういう洗練された習慣が
定着したらよいのに、とつくづく思う。人間にはコミュニケーションが大事だ。
小人閑居して不善を為す、と言うが、パーティーはその逆を行く。

しかし、日本でパーティーをするのはなかなか難しいかもしれない。
日本のホテルで、アメリカのホテルのようなボールルームがある
ホテルは大きいところに限られる。したがって、利用するのも高額になり、
小規模のパーティーは難しい。

日本では、持ち家で10人くらいの来客を接待できる応接間を持つところは
少ない。少なくとも、拙宅では無理だ。しかし、5、6人位なら
パーティーができるかと思う。

最初は、仕事や趣味、クラブ、あるいは、同郷出身、などなど何か経歴や
趣味など共通している人達が月に1回、例えば第3金曜日に集まる、などという
ところから始めるのも良いかもしれない。個人が声を掛けて、自分の家や
居酒屋、レストランなどでやることもできるだろう。

居酒屋やレストランは、周りの客や時間制限などがあるから、

コミュニケーションを楽しむパーティーをするのは難しいかもしれない。

しかし、コミュニティーセンターのようなところがあるので、そこで
ケータリングサービスを使い、自分たちで後始末すれば利用を許可して

くれるかもしれない。ただ、パーティーの後、後片付けは大変なので、

あるいは、そういうことをビジネスとする業者が出てくれば一番良い。

いわば、何とかパーティーボックスあるいはパーティーホールなどとして、
5人、10人、20人、50人等々の人数のパーティーを開催する場所と
食物飲み物を提供するビジネスである。こうしたビジネスは流行にならないと
成功するのは少し難しいかもしれないが、それまでは、女子会でも良い、
昼食会でも良い、居酒屋の飲み会でも良いので、そういう会合を持つように
すれば良いのではないだろうか。

日本の会合でお酒が出ると、歯止めが効かなくなり、際限なく飲みだして、
とても会話を楽しむという程度を超えて酔ってしまう人が多い。こういう
人が一人、二人出てしまうともうパーティーは終わってしまう。だから、
日本でパーティーをする場合は酒量制限が必要だろう。酔いつぶれないで、
楽しく飲食すれば女性も集まるだろう。9時前には終わるようにすれば良い。

もっと良いパーティーモデルがあるかもしれない。いずれにしても、こういう

会合を持つことが若い男女が知り合う機会を多く持ち、楽しい時間を享受する

ようになるような気がする。今の集団見合いパーティーよりは、より自然に

良いカップルが生まれるのではないだろうか。

個人情報保護法が作られてから、個人と個人の関係が非常に希薄になった
ような気がする。昔は、高校、大学、会社、等々いろいろな名簿があった。
今もあるのだが、空白にしている人が多いので、あるときから購入するのは
止めた。そんなこんなで、個人的な関係がどんどんなくなってきてしまった。

日本の法律は、昔の日本の社会を作っていた慣習をどんどんなくするように
作られてきたような気がする。これは、言わばアメリカ由来の
ポリティカル・コレクトネスというものだろう。心の中では反対だが、
正論を言われると、表向き反論しにくい。そういうところを突いた
法律だ。しかし、そんな法律のために自分達の人生を暗くさせるわけには
ゆかない。

そこで、まあ、小さいパーティーなどを始めて、コミュニケーションを
楽しみ、個人的な関係を豊かにし、合わせて自分の精神空間を豊かに
するという試みをしてはどうだろうかと思っているのである。まず、
女子会、昼食会、車を運転しなければ、少しビールでも、という
ようなところから始めれば良いのではないだろうか。

さて、1時間、あるいは2時間、会話を楽しむ知的な準備が頭の中に
できているだろうか。あるいは、最初のうちは、ただ興味深い話を

聞くだけでも良いだろう。そういうことを考えていると、何か、

わくわくしてくるではないか。