会議の席上や改善活動の最中に進行役が「この一月を振り返って、皆さんに伝えておきたい問題はありますか?」というシーンがあります。
多くの場合は「特にありません」と答えると、協議も中断せず、何事もなかったかのように会議は終わります。
実は多くの問題があっても、それが表面化すれば作業や報告が増えたり、困る人も出てきます。ですから成るべく「問題は無い」方が良いのです。
企業の危機存亡に関わる問題であっても今の(2017/01/25時点)東芝がそうであるように、問題は見て見ぬふりをされることが多いのです。
また上司が事なかれ主義であれば部下も口を閉ざしがちになります。皆が「モノ言えば唇寒し」と発言を控えるのです。
大きな問題を扱うのは厄介だし、気が重くなります。それでも普段から小さな厄介ごとを手分けして解決する風土があれば、そもそも大きな問題は起きにくいでしょう。
では、どうすれば問題がプチサイズで、取り扱いが大事になる前に見つけ出すことが出来るのでしょうか。もちろん見つけるとは「問題を探そう!」と、声を掛けあい捜索することではありません。普段から誰かが、『これって拙いんじゃないの?』『こういうの放置しておくと後々、トラブルになるんじゃないか?』と気に掛けてはいるが、ミーティングで発言しにくいことを気軽に言える場を作り、引き出すことではないでしょうか。
ところが、ここで厄介なのは、元々、「問題は無い方が良い」という意識がメンバーに潜在化している場合、誰かが「ここが問題だと思います」と発言するや否や「それは、これこれこうだから、こうだよ」と問題そのものを抹殺しようとするのです。それほどに「問題」は嫌われるのです。
このような場合、ストーリーテリングを用いると穏やかに問題の背景を理解し合い、問題を正面から見つめるキッカケが生まれ、問題を提起する人も白眼視されない方法があります。
それは一人だけでなく、その場の出来れば全員が「プチ困っている状況」を自分のストーリーとして語ることです。
ストーリーですから説明ではありません。「これこれが問題です。というのは・・・」これが説明です。問題の説明は即座に完膚なきまで「抹殺」されるのです。
「先月のミーティングで皆で決めた喫煙ルームの灰皿の吸い殻の処理が放置されていることがあります。煙草を吸う方は、気を付けて欲しいんですが。見た目も悪く、丁度居合わせたお客さんの目にも留まったようで、決して気持ちの良いものではありませんし・・・」これに対しては「あ、そうだよね。昨日もそうでした。駄目だよねえ。皆さん今後は、注意してくださいね」で終わるかもしれません。
ストーリー(物語り)だとどうでしょうか。
「昨日の10時過ぎのことでした。喫煙室の吸い殻が山のようになっていました。丁度、そこに商談で居合わせた田中商会の斎藤部長が、その山を見ながら『皆さん、ヘビースモーカーですね』と仰いました。吸い殻の山と、商談は関係が無いかもしれませんが、私には斎藤部長が呆れた表情を見せたように感じたのです。斎藤部長は普段から『一事が万事ですね』という口癖をお持ちです。こうした些細な喫煙室の吸い殻処理でも見る人は見ているのでは、と心配になりました」
これだと説明とは異なり聞く人も、様子が目に見えるようです。イメージが共想されるでしょう。
説明とストーリーの差は、大きいですね。問題は無きものに葬ろう、という意識に対抗して、一人一人が自分の視点で、プチ困っていることや、これ拙いな、と思うことを物語りにして語れば、その課題に所有感も生まれ、解決もしやすくなるのです。
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