去年の今日 | オッサンの呟き

オッサンの呟き

特にテーマはなく、独り言のように日々思ったことを呟きます。そんな他愛のない話しに付き合ってくれる人がいるかな?

いざとなったらなかなか書けないものである。
自分の記録用として今日の頭の中を整理しておこうと思う。

去年の10月21日(月)、ウチのクロちゃんは闘病生活に入った。正確に言えばそのずっと以前から体を酷く傷めていたのだが。

室温を一定に保つ為にファンヒーターをほぼ1日中、点けたままだった。換気の為に安全装置が働いてしまうので、2時間以上の連続した睡眠を摂ることなく、12月7日の夕刻まで看病は続いた。

一日の中で体調がコロコロと変わり、絶望的な様子で夜を迎え、朝方には調子を取り戻して元気になっていたことなどしばしばだった。だが確実に病気は進行し、深い悲しみを伴う瞬間はやってきた。

クロちゃんが虹の橋を渡ってから今日まで様々な心持ちで過ごした。共に過ごした23年という日々は猫としてはとても長寿であった。そのことを頭で理解しながらも、深い悲しみの中で過ごした期間は長かった。

そのような期間を経て、『いつかはこのような日が来ることは避けられなかったのだ』という割り切った気持ちになった時もあった。

だが今日のこの日が近づいてくるにつれ、再び後悔と反省の気持ちが頭の中を支配していくようになった。

会社を何日も休み、オヤジと交代で付きっきりで看病していたが、そのことがクロちゃんの苦しみの時間を長くしてしまった。最期は自分で目を閉じることができなくなっていたばかりか、肛門を閉じる力すら失っていた。そこまで無理に生かしたことは良いことだったのだろうか・・・。

或いは看病の様子をブログに書きとめることが、『気にしてください』『心配してください』とブログ訪問者の方々に訴えるようなことになってはいなかっただろうか。自分を美化するような気持ちが一片たりとも無かっただろうか・・・。

最期は楽にさせてあげたいという気持ちと共に、自分が早く楽になりたいという気持ちがどの程度あったのだろうか。自分が楽になりたいという気持ちは確実にあった。自分は冷酷な人間なのではないか・・・。

あの時、自分がどのような気持ちでブログを綴っていたのだろうか・・・。だがあの頃の記事を読み返すことは今の僕にはできない。その勇気がない。

愛すべき存在を失ったという悲しみ、共に過ごした日々を忘れないという気持ちが毎日墓前に足を運ばせた。台風が来てもご飯をお供えし、それを下げるまでの間はずぶ濡れになりながらご飯が汚れたりしないように守った。ここに自分の真実の気持ちがあると信じたい。

1週間ほど前くらいから感傷的な気分が深まり、今日はそのピークなのかも知れない。いや、もしかしたら明日はもっと感傷的な気分になっているかも知れない。過去を過去として捉え、冷静に分析するというようなことはまだできないようだ。