心のゆとり | オッサンの呟き

オッサンの呟き

特にテーマはなく、独り言のように日々思ったことを呟きます。そんな他愛のない話しに付き合ってくれる人がいるかな?

信号無視をする歩行者に向かってクラクションを鳴らす車をよく街中で見かける。クラクションは本来は注意喚起の為に装備されているものだが、そういうときに聴くクラクションの大半は、歩行者に向かっての腹いせのように聞こえる。歩行者が立ち止まってもまだ繰り返し激しく鳴らしたりする運転者がいる。

運転する立場になってみると、堂々と信号無視をしている歩行者の群れを見たときにイラッとする気持ちは分からないでもないのだが・・・。

自分が運転していてクラクションを鳴らさなければならないような場面は滅多にない。だからとっさのときに鳴らすのが遅れたりする場合もある。だけど運転していてクラクションを聴く場面がなんと多いことか。

イラッとして鳴らすような激しいクラクションを聴くと、その音を聴かされる方もイラッとするものだ。『ハンドルを握ると性格が変わるという人』というのは割と聞く話しだが、性格が変わるというのではなく、心にゆとりが無いから性格が変わったかのような運転マナーになるんだと僕は思う。要するに運転に自信が無い現れじゃないのかな。

そんなことを言う僕もかつては自分のイライラ運転の為に恐い目に遭ったことがある。あれは社会人一年目の年だった。会社に入って最初に赴任したのは初めて住む名古屋だった。

今でもそういう言葉があるのかどうか知らないが、『名古屋走り』という言葉があった。追い越し車線や中央の車線を平気でまたいで運転する荒っぽい走りのことだ。これにはかなりのカルチャーショックを受けた。ウインカー(方向指示器)を出さずにいきなりすぐ前に割り込んでくるような荒っぽい運転も普通にある。このカルチャーショックで当時の僕はいつも心のゆとりが無い状態で運転していたように思う。

あるときに接触しそうな勢いで僕の運転する車の直前に割り込みを受けたとき、腹いせに同じことをやり返した。血気盛んな若かりし頃ということもあって、相当に際どい運転で相手をビビらせたと思う。相手は軽自動車ということでナメてもいた。ところが・・・

信号で止まったときにその運転者が降りてきた。その相手は軽自動車には似つかわしくないようなプロレスラーのようなガタイをした大男だった。これにはビビった。頭に血が上っていなければ追い越しのときに気がついていたかも知れないのだが、突然の予期しない出来事に驚いてしまった。

しかしこちらも引っ込みがつかない。こんなときに軽く『すみません』 と謝れるような性格ならば苦労が無いのだが、そんなことは出来ない性格だ。今ならばそんな立ち回りが出来たのかも知れないとも思うが、当時の僕は若かった。

『あぶねぇじゃねーか!てめぇ!』 なんて言葉を吐きながら怒り狂うそのレスラーみたいな男に、 少しだけ窓を開けて 『てめぇの方こそあぶねぇ運転しといて文句言えんのか!ぼけ!』 とかいう感じで叫んでいた。

信号機が変わった瞬間に車をスタートさせて逃げたのだが、本当にあのときは凍りつくような場面だった。『軽自動車だからといってナメちゃいかんな』 ということをそのときは思った。何も分かっちゃいなかった。

そう、あのとき僕は心にゆとりが無かったから怒り、そしてそういう危険な目に遭ったのだ。軽自動車をナメたからそういう目に遭ったのではない。心のゆとりは何をするにしても大切だと思う。追い込まれてやるようなことは大概が裏目に出てしまうような気がする。

イチかバチかなんていう場面はあったとしても、 『このギャンブル的な賭けは避けられない』 という冷静な判断で打って出ないと必ず失敗するのかも知れない。そしてこのゆとりを生み出すのは自信ということになるのだが、僕はこれを持つのがなかなか難しい性格だ。根拠の無い自信を振りかざすようなヤツを見かけるとイラッとするし、自分自身はそういうものがなかなか持てないのだ。