”海外暮らし”をキーワードに
このブログ上にみんながそれぞれの物語を綴っていく参加型コミュニティです。
現在は、一人諸事情により卒業し、8名→7名で活動中です!>>>メンバーのプロフィール
海外生活を体験してみようオンライン座談会、不定期で開催中
以前シンガポールに住み仕事をしながら暮らしていたマイです。
現在は日本在住です。
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前回までは子どものことを中心に
というタイトルで書いていました。
自分が思っている英語じゃない英語が存在している(アジア英語)①
自分が思っている英語じゃない英語が存在している(アジア英語)② シェアメイトの家族の会話
It’s a small thing 〜海外暮らしで発見したこと〜
現地採用枠で日本人学校の採用になるまで お父さんの大反対に合う
など、5年間シンガポールに住んでいた時の経験について、をシェアしています。
前回書いたのは、父にオーストラリアへワーキングホリデーで行くのを反対されたけど、シンガポールへの就労でということだったら、OKがでたというところまで書きました。
次は、採用が決まった後の話。
面接試験では沢山の人がいて、自分がまさか受かるとは…という驚きがありました。
採用が決まり、すぐに日本人学校の事務局からメールが届きました。
準備するもの大体のものは、揃うので、現地で調達したらいいですよ、といわれ、それでも少し心配だったので、ダンボールを二箱ほど郵送。
後から送らなければ良かった〜と思うほど、シンガポールは、なんでも揃うし気候にあった服装がいいし、言った通りにしたら良かったなぁと反省。
赴任の日は、四月一日。
父が手配してくれた飛行機に乗りシンガポールへ。それはとても嬉しかったので、その時のメモを今でも残しています。
ドキドキしながら、シンガポールに着いたら、同僚の先生が私の名前を持って空港の到着ロビーでお出迎えをしてくれました。海外に着いたけど日本人がいる。。とどれだけホッとしたことでしょう。これから、迎えにきてくれた皆さんと一緒にはじめての海外就労が始まるのでした。そして後に、マレーシアのジョホールバルや、カンボジアなどシンガポールから更に海外へ旅行にも一緒に連れて行ってもらったりシンガポール日本人学校の仕事を教えてもらったりそれはそれは濃い生活をともにしたのでした。今はとても感謝の気持ちでいっぱいです。
ですが、
今、振り返ってみて、20台半ばのあの頃。
その時にはいろいろなことをしてもらって、歓迎してもらってとても楽しい場がありましたが、職場でも家でもずっとメンバーが同じだったことって、若かったからか、時々窮屈に思うことがありました。今考えるとそんなふうに考えてた自分がもったいない…
仕事もプライベートもあんなに一緒にいるメンバーは、あの時が最初で最後だろうなと思うともっともっとどっぷり浸かって楽しんでたら良かったなぁなんて、今頃思います。
窮屈に思えてきたのと、部屋の状態が悪くなった時期に、人生初一人暮らし生活in海外が始まるのでした。
また続く。
※写真は、シンガポールのホーカー🇸🇬の食べ物、クラークキー、川沿いの家の近くの道、マーライオンの裏にある小さなマーライオンです。
投稿させてもらいながら、写真を探していると、シンガポールの大きな木を見て、すごい木が高くて驚いたことを思い出しました。写真を撮ってて良かったです。日本とはまた違った景色を見れたこと、肌で体験できて本当に良かったなって心から思いました。
これから日本で教師として働くにあたり、外国籍を持った子どもたちの理解はできるし、語学面で日本語に苦労している子にもサポートしていけると思いますが、他にもできることってなんだろう。ということを働きながら見つけていけたらいいなと思っています。
勉強を教えることはもちろんですが、今の子どもたちは、海外に興味あるのかな。
海外の歌を紹介してみようかな。
アジアの英語訛りを紹介してみようかなぁ。