The Stories of Us 

 

”海外暮らし”をキーワードに

このブログ上にみんながそれぞれの物語を綴っていく参加型コミュニティです。


クローバー海外生活を体験してみようオンライン座談会、定期開催中クローバー

右差し過去の開催レポ

 

 

星 星 星 星 星 星 星 星 星 星

 

1イントロダクション【自分の取扱説明書作成中】〜海外に出て気づけた日々を楽しく過ごすコツ〜

 

2【自分の取扱説明書作成中】~海外に出て気づけた日々を楽しく過ごすコツ①~

 

3【自分の取扱説明書作成中】~海外に出て気づけた日々を楽しく過ごすコツ②~

 

の続きです

 

 

こんにちは、マレーシア在住のrAiです。

 

タイトル通りこちらのブログのテーマは

 

「自分の取扱説明書」

。。。をまさに日々作成中というお話です。

  

 

{ECB73F7C-8C1A-4F46-9CFE-DD9CE636E348}

 

「自分の取扱説明書」を作成する上で最大の難関、「自分への理解」。

 

 

自分自身のことなのに、自分がわからない。

 

自分自身のことなのに、勘違いしている。

 

自分自身のこと、卑下しすぎてるっっっ!!!

 

(そう、そこのあなたもっっっ!!!)

  

という思考回路に至った海外生活を振り返ってる最中です。

  

前回記事、書いてみたら本人もびっくりするくらい何の問題もない海外生活の始まりでした。

 

よく考えたら、転職前の最初の職場で仕事の内容の不一致や子供を授かれないこと、将来への不安が問題で鬱病にかかり、人生最下層を体験して乗り越えてきたんだったと!

  

だから、いちど鬱を治すためにとことん自分と向き合っており、途中鬱を軽くぶり返しつつも2度の転職を経てやっと自分の仕事に納得いって楽しめるようになったことで完全寛解して、ましてや6年間ずっと授かれなかった赤ちゃんまで授かってるわけですから、地獄から返り咲いた幸せの絶頂中でして、新生活への多少の不安はあれど精神的にはとても安定していた時期でした。

  

この時点で「自分の取扱説明書」は既に何ページかは書きあがっていたみたいです。

(※この当時は、ひたすら紙に書きなぐるばかりで、この考え方は特にしてませんでしたけど😅)

 

なので、もう少し遡ってお話をした方がいいかなと思い、まずは軽くあたしのはじめての海外話をしてみようと思います。

 

あたしの初海外、それはオーストラリアのゴールドコースト。 

 

{902DA96D-8981-4D86-80D5-B04DC973B2EE}

※イメージのコアラ写真🐨

 

高校の合格祝いにと中学卒業して高校入学までの春休みの2週間を利用して叔母が手配してくれました。

 

 

叔母はその当時から自分の子供たち(すなわちあたしの従兄弟姉妹)を海外に留学させており、英語が話せた方がよいとあたしが小さい時から言っておりました。

 

 

特に歳の1番近かった従姉妹は小学生の頃からオーストラリアと日本を行き来し、高校からイギリスへ留学しており、日本に戻ってきて結婚したのちに、今は静岡で英会話スクールを経営しているキャリアウーマンです。

http://sakuyahime.jp/?post_type=sakuyahime&p=1068

 

 

そんな叔母の別荘があったオーストラリアのゴールドコーストで、もろもろの手配をしていただき、人生初の海外ホームステイとなりました。

 

 

。。。空港に降り立ち、まずは叔母の別荘へ。高層マンションの一室でしたが、「部屋のベランダにプールがあるっ!!!!」と衝撃でした。そして、齢15歳、従兄弟のウォーターベッドで飛び跳ねたものです!

 

 

。。。って、「そこっ⁉️」ってつっこまないでやってください。

 

 

叔母は裕福でしたが、あたしは「海外に行くなんてとてもっ!とてもっ!」な、ごくごく一般的な家庭だったので😅

 

 

一緒に行ってくれた叔母が空港のスイートラウンジを特別に使わせてくれたのですが、萎縮しまくりでした。違う意味でも初体験ばかりの旅で緊張の連続。

(※あたしのチケットはもちろんエコノミーですた。)

 

そして、別荘の部屋から臨むゴールドコーストの景色が本当に輝いてみえました✨ 

 

{AB2D93C4-049C-49BC-AC03-7580016B0ED1}


今までの世界と全然違うっっっ!

 

もちろん、オゾン層が壊れてしまっていた地域だったので、とかく太陽の光が強かったのもあると思います。

  

でも本当に日本で見ていた世界と目にする色彩が全然違うことにただ、ただ、自分が見ていた世界はまだまだちっぽけで世界にはまだまだ見たこともない素敵な世界があるのだと。

  

若かりし頃のあたしは思いました。

 

そして、ここからはほとんど記憶がないのですが、ホストファミリーの家に行き、やはりここも庭にプールがある一軒家で恐らく少し歳上の女の子のいるお宅でお世話になりました。

  

覚えているのは、

 

ステイ先の金髪の女の子が、あたしからすると羨ましいその髪を黒に染めようとしたところ紫になり、綺麗な色に染まらないと嘆いていたこと。

 

 最後にテーマパークに連れて行ってもらったのですが、通りすがりの見知らぬ子に「What's time is it now?」と言われ時間を教え、日本で他人に時間を聞くことなどないのにとカルチャーショックだったことでした。

  

。。。そして、あたしは実は滞在約2週間、ほとんど口をひらくことがなかったようです。

 

中学校の英語の成績はテストでは中3時はほぼ90点以上で、演劇好きだったので積極的に手を上げて教科書を読む優等生でした。

 

。。。が、丸暗記で対応していたこと、演じてない日常では極度の人見知りだったこと、中学英語は知っているのに英語が喋れないと思い込んでいたことなどが災いして、ほぼまったーーーくと言っていいほど会話した記憶がない😅

  

そして、2週間ぶりにオーストラリアにいた従兄弟に会って日本語を話した時に、すっごく違和感が!!

  

な、なんとあまりにも喋らなすぎたせいか、自分の発する声を聞くのが久々すぎて「え!?これが自分の声!?」と思ったのですっっっ!!!!!😱

  

ほんと、「どんだけしゃべらなかったんだ自分!?😭」ですよ。

 

折角のチャンスに。。。。

  

今の自分なら言えます。

 

英語を話せるようになるには、例え伝わらなくても実践あるのみなのに超絶勿体ないっっっっ!!!

  

と。

  

そんなこんなで、

  

「まだまだ見ぬ新しい世界があるんだ」ということを心の底から感じた。

 

でも、英語話せなかった。

=自分には海外は向いてない。

 

そーゆー形で折角のチャンスも生かすことなく、逆に英語への苦手意識を加速させたまま高校に入学することになりました。

  

そんな残念な海外初体験でしたが、続きます。