自己破産をしても夢をあきらめない シンディーローパーさんのストーリー | Stories Of Survivors University ストーリーズオブサバイバーズユニバーシティ

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誕生日:1953年6月22日
星座:蟹座
誕生石:ムーンストーン、真珠

 

 

 

シンディーローパーさんはアメリカニューヨークブルックリンで生まれ、グラミー賞・エミー賞・トニー賞を受賞したことのある世界的に有名な歌手、女優です。

大の親日家としても知られるシンディーローパーさんですが、歌手として大成功を収める前は沢山の苦労がありました。

 

 

 生い立ち

シンディローパーさんが5歳の時に両親は離婚し、母、姉、弟と共にクィーンズ近郊のオゾン・パークへ移住されました。

学校にはなじめず授業中は絵を描いたり歌を歌ったりして過ごしていました。

12歳の頃にギターを学び音楽を始めますが、17歳の頃に自分をとりまく環境に嫌気がさし高校を退学して愛犬スパークルと共に家を出ていきました。

「わたしは17で家を出た。持っていったのは歯ブラシ、替えの下着、リンゴ、そして『グレープフルーツ』というオノ・ヨーコの本だけ。『グレープフルーツ』はわたしにとって、芸術を通じて人生を見るための窓になっていた」

(トゥルー・カラーズ-シンディ・ローパー自伝より)

 

家を出てからは、生活のためウェイトレス、絵のモデル、競馬場で競走馬の調教後の生理運動役ホットウォーカー、空手教室の呼びこみ等様々な職につきながら、アートスクールに通ったりスケッチをしたりして過ごしていました。カナダに行ったこともありましたがその後ニューヨークに戻り、音楽の道を歩み始めます。

 

 

 下積み時代

バックグラウンドシンガーやリード・シンガーとして小さなクラブやディスコで歌いますが、1977年、無理がたたり喉を損傷し声が出なくなってしまいました。そのため1年間音楽活動を休止し、ヴォイス・トレーナー、ケイティ・アゲストラの指導のもとで集中的なヴォーカルトレーニングを受け、また歌えるようになりました。

1978年にキーボード兼サックス・プレイヤーのジョン・テュリと知り合いブルーエンジェル(Blue Angel)を結成し、1980年にデビューアルバムを出します。

時代の先を行き過ぎたのか商業的には売れず、バンド解散。レコード会社との契約解除をする際にマネージャーと揉めたことで訴えられ、自己破産を余儀なくされました。

こうして再びアルバイト生活に戻ってしまいます。

 

 

 ソロでの成功

自己破産しても歌手として成功する夢はあきらめず、リサイクルショップや日本料理店で働きクラブやバーで働いていたシンディーローパーさん。

そこで運命的な出会いを果たします。

マネジメント業のデビッド・ウルフさんと知り合い、彼の紹介を経てポートレート・レコードと契約を結ぶことに成功したのでした。

1983年に『シーズ・ソー・アンユージュアル/She's So Unusual』でソロ・デビューを果たし、全世界で800万枚のセールスを記録しました。

その後、彼女の代表曲とも言えるGirls Just Want To Have Funで全米2位、Time After Timeで全米1位になり、80年代を代表する歌手に成長していきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本との交流やチャリティー活動

シンディーローパーさんは何度も日本に来日されています。

1995年に起こった阪神淡路大震災に募金をされたり、2011311日に起こった東日本大震災直後には、すぐに帰国したりライブを中止する海外ミュージシャン沢山いる中、あえて帰国せずにツアーをおこない募金を募ったりチャリティーコンサートにしたりして自身も被災地に募金をするなど慈善活動をされました。コンサート終了後、急遽、観覧しに来ていた日本の芸能人とともに、募金箱を持ちコンサートの観客に募金を募ったというエピソードもあります。

インタビューでは、

「私たちの滞在は一時的なものです。でも日本の人たちは毎日過ごしています。何であれ、出来ることがしたかったのです。」

 

「私が日本に来る理由は『震災を忘れていない』という事と、私が来るたびに思い出して欲しいからなのです。」

 

「時間がたてば人々は忘れてしまうことが多い。だったら自分が何かすることによって、良いも悪いも含めて注目を受けることで、日本だけでなく海外の人たちにも、何らかの形で被災地や日本の大変さをもう一度思い出させることができるはず。忘れられてはいけないし、忘れてはいけない。日本のことを忘れないわというメッセージを出さなくてはいけない」

 

「歩いていて、前の人が転んで倒れたとき、どうするか?ということです。立ち止まって、立ち上がるのを手を貸すか、それともその人を踏んで歩くのか、ということです。私は転んだ人に手をさしのべるような人間になるように育てられました。」

と語られました。

 

41NHK紅白歌合戦に日本に来日して出演されたこともありました。

 

その他日本以外でも同性愛者やがん患者のための慈善活動を行ったりと色んなことをされています。

 

 

 

レインボーボイスをもつ歌手として評価されるシンディローパーさん。その人柄は奇抜な見た目と裏腹に繊細な性格だそうです。だからこそ表現をするクリエイティブな世界で成功されたのだと思いますが、うつを体験したことも後に告白されています。

何度倒れても夢をあきらめない強い意志や独自の世界観を表現し貫く力、人を思いやる優しい心など彼女から学べることは沢山ありそうですね。

 

実は夫で俳優デヴィッド・ソーントンさんと間に息子さんがいる一児の母でもあります。

 

女優、歌手の他タロットカードリーダーでもあり、ドラマで霊能者を演じたこともありました。

 

 

 

 

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