安かろう悪かろう | The passenger of life

The passenger of life

人生という小さな小舟に乗りこんだたった一人の乗客。行き先を決めて進むのは自分。僕は人生をどこに向かわせるのか。流れにまかせるのか必死に舵をきるのか。さあ、どうなる?自分。

ずっと前から思っていることがあります。

安かろう悪かろう

についてです。



以前、住宅に関係する仕事をしていたときに、この言葉をよく使っていました。

「安かろう悪かろうの時代ではなくなりましたよ」というフレーズです。



僕が携わっていた仕事の中では、それはなんの偽りもありませんでした。

お客さんに対しても、協力業者さんたちに対しても、皆が満足できる体制を会社が作っていました。



もちろん、すべてが丸く収まるわけではなく、お客さんにも飲んでもらわなければならないこともあるし、業者さんにも無理をお願いすることもありました。

だけど、そこは誰もが納得して、最終的にはお客さんを含め、全員が幸せになってい
たと自負しています。



そこで学んだことは、人間の限界を越える話は、理論的には可能であっても、永続的に実践していくことは難しいということです。

理論的にはこの金額でもやれる。

でもそれは人間的な要因を排除しての話。

疲労やモチベーション、仕事から生まれる喜びなどは考えられていません。



元請け業者に叩かれに叩かれ、常に厳しい状況にいる下請けさんをたくさん見てきました。

そんな下請けさんはモチベーションが保てず、技術力が落ち、人が離れ、仕事が無くなっていきます。

結果として、質の低い商品がお客さんの手元にいってしまいます。



会社、企業は利益を出さなければなりません。

それは絶対です。

そのためにあらゆる努力をします。



しかし、利益を出すために行われる様々な経費の削減の中に、削っていけないものもあると・・・。

だけど、そうしなければ生きていけない現実があります。

苦しい経営をされている会社を非難することは、僕にはできません。



こんな社会になってしまった原因は複雑で、ここで語るには僕の知識が足りません。

しかし、一つだけどうしても言いたいことがあります。



行政の責任も多大にありますが、過度な価格競争を生み出しているのは、僕ら消費者です。

事実として、それは認識しなければいけないと思います。



安かろう悪かろうに戻りますが、なぜ安いのか、その安さのシステムが人間的な限界を越えていないか。

誰かの不幸(絶望的な犠牲)の上に成り立っているものではないか。

知る必要があると思います。