A Cheap Log. -6ページ目

A Cheap Log.

Kei

GPも早や中盤戦になり次戦ドイツ以降再びアメリカラウンドに入る。

第7戦の高速コースで知られるTTアッセンは上位陣が予選中に転倒で怪我人が続出した。

マルケスは連戦の転倒にも関わらず元気だった。決勝も全く影響が無かったかの様に2位でフィニッシュした。
初のPPクラッチ郎はスタートでしくじったが喰らい付き最後はペドロサに競り勝ち表彰台に上がった。サテライトマシンで本当に健闘している。現時点でランキング4位は立派な成績だ。


ロレンソは頑張った。予選の大怪我からの手術後よく走り抜いた。完走後マシンから降りられない程だった。
レース後に静かに泣いているロレンソに感無量になった。
生意気な小僧だったが立派なチャンピオンに成長した。王者らしい本当にいい顔になってきた。




世界中のバーレファンが長らくこの日を待っていた。


2年8ヵ月は決して短いものでは無かった。新世代が台頭する中もう二度と表彰台のど真ん中に立つ雄姿を拝む事はないかもしれないと思っていたファンも多かっただろう。

序盤にトップに躍り出てからの圧倒的なライディングはかつての無敵だった頃を彷彿とさせる速さだった。ペドロサも必死に追い縋ったが今回はロッシに全くついて行けなかった。


この数年間苦戦が続いた。オールイタリア体制のドカの悪夢の2年間を振り払うべく戻った古巣でも不運が続きもう駄目かもしれないと落胆していた。

最終コーナーをトップで戻り歓喜でチェッカーを受けた帝王をバーレファンは狂喜乱舞で出迎えた。
これほど優勝を喜ぶロッシを見たのは初めてかもしれない。


マルケスもフィニッシュ後に何回もロッシに握手を求めていた。自分の事の様に喜んでいた。

チーム関係者も本当に嬉しそうだった。長らく無冠だったチームにタイトルを齎した恩人に漸く借りを返せた思いだったのかもしれない。

今季のタイトル争いは既に難しい状況だが久々の優勝を機に再度アタックして欲しい。

この日を世界中のファンが本当に待ち侘びた。次戦ザクセンリンクも白熱のレースを期待したい。


水無月も後半は足早に過ぎ去りそれなりに忙しい日が続いた。

仕事も漸くエンジンが掛かって来た。

数年来追いかけて来た正真正銘の超大手企業から具体的な引合を頂き漸く一つ階段を上がる事が出来た。
「お前ホンマにアホやなぁ、何考えてんねん」
昔から怖いモノ知らずで何も考えず突っ込んでいく性格を知ってる古いツレでさえ無謀だと呆れていた。
良くも悪くもバカ正直で直球一本槍で頑固だ。それでも「頑張れや」とカミさんやツレは応援してくれる。

来月の早い段階で決まる。幾許かでも運があれば勝てるだろう。


水曜日に20回目の結婚記念日を迎えた。

10回目の記念日は出張から大阪にトンボ帰りし関空を出てから宝石屋を駆け足で廻り漸く京橋でダイヤの指輪を買い帰宅し夜は予約したラウンジで食事をしながらプレゼントを渡した。
カミさんは喜んでくれた。

会社経営を断念し勤め人に戻り多忙な頃だった。

あれから10年経ちヘッドハントで移籍した会社で噛み合わず追い出され順風満帆の筈が振り返れば色々な事があった10年間だった。それでも何とか凌いできた。カミさんや廻りの方々のお陰だ。

若い頃は傲慢だった。自分の力で何でも切り拓こうとしていた。歳を経り徐々に己の力の限界を悟り始めてから変わった。廻りの方々の助けや思いやりを本当に分かる様になった。

大手企業の出世頭だった頃は自分のセンスや力を疑う事無く思うが儘に仕事に没頭していたが今思えば世間の事を何も解しない単なる思いあがった若造だった。

昔の様な社会的地位や安定した収入は無くなったが今の自分の方が「マシな」人間になっていると思う。それも全てカミさんが一緒にいて苦労を共にしてくれたからだ。

記念日は生憎の梅雨の大雨だった。花とケーキを買って来た。
帰宅して胡蝶蘭を見たカミさんは喜んでくれた。軽く食事してケーキを食べ祝った。


土曜日の夕方に食事に出掛けた。

キタはマークダウンが始まり阪急もゴッタ返していた。駅前も再開発が進み気が付けば阪神本店が最も古いビルになっていた。

久々に食べに行った店は、改装一周年で前の趣は皆無だった。
一緒に仕事していた後輩が長年マネージャーをしていて料理はいつも任せていた。
美味いイタリアンの店だったがメインシェフが交代し味が以前とだいぶ変わっていた。


まだ明るい時間に店に入りデザートが出て来る頃はすっかり暗くなり夜景が綺麗だった。

雰囲気の良い店でユックリ食事するのは2月の甲斐バンドのライブの後に食事に出掛けて以来だった。

仕事も新しい取引が始まり今季も漸く明るい兆しが出て来た。

結婚21年目に入りこれからも家内とチビとユキと元気に暮らしていきたい。



大阪も今週に入り漸く本格的な梅雨入りとなり昨日は終日の豪雨だった。

昨日は断線して壊れた電気スタンドを修理した。バラして線をはんだ付けしたら簡単に直った。チマチマした作業は時間が掛るが楽しい一時だ。

昨夜でドラマ「家族ゲーム」が終わった。
今の時代に何故80年代初頭のモチーフなのか当初は疑問に感じたが森田監督のメッセージは或る意味で日本の未来を予見していたのかもしれない。久々の佳作ドラマだった。
忽那汐里は今後が楽しみだ。NHKドラマ「シングルマザーズ」も良かったが本作は更に魅力が増し演技も上達した。

第六戦カタルーニャは路面温度が57度(BS山田氏曰く)の過酷なコンディションの中で各クラスともタイヤ温存に神経を尖らせる厳しいレースだった。

前戦イタリアのレース終了後のバーレコールが影響したのかバウティスタは再びスリップダウンで敢え無くリタイヤした。故意に体当たりを仕掛けたのかと勘繰りたくなる様な転倒だった。他のライダーに危険を及ぼす様な安定度の低いライダーはトップクラスで走る資格は無い。

何時の頃からかGPはスペインが最も熱狂的な国になっていた。年間のレース開催数も観客動員も目を見張るモノがある。
かつては我が国もそんな時代があっただけに寂寥感は大きいが致し方無い。

熱狂的な地元開催レースでスペインライダーの独壇場だった。


ロレンソ完全復活で僅差でトップのペドロサも次戦ではケツに火が付くだろう。マルケスも前戦を糧に今回はギャンブルは控え手堅くポイントメイクに留めた。

ロッシは不運が続く。予想外の苦しいシーズンになった。
長期に亘り世界最高峰の座に君臨してきた帝王も全盛時の走りが徐々に影を潜めて来た。

かつてロッシがそうだった様に新しい世代がレースを創っていく。

過去の栄光は一切関係ない。過ぎ去った日々は二度と取り戻せない。「今」をどれだけ戦えるかしか無い。人生も然りだ…

今シーズンも早や1/3が終了し次戦から中盤戦。叶うならバレンティーノが次戦以降で表彰台に再び度上がって欲しい。出来るなら長らく見ていない中央で…


http://www.motogp.com/ja

https://www.youtube.com/watch?v=sS1ISgB95Ks

昨日の雨から一転し今日も朝から暑さが堪える一日となった。

ビール飲みながらカミさんと昨晩深夜に録画した日本対ブラジル戦を見た。

本場ブラジルのピッチで白いユニフォームで戦いに臨む日本チームに感慨深いモノを感じた。
日本が真の強豪国になった暁には昔の様な白いユニフォームに戻って欲しい。


開始早々の1点目は主審次第ではハンドだがネイマール自身には良かった。

ディフェンシブから数少ないチャンスを狙うカウンターの布陣は結果的には裏目に出た。

今更ながらにブラジルの基本の忠実さに愕然とした。意のままにボールを操れるトラップの凄さ…これに尽きた。

日本のレベルが格段に向上した事は誰も疑う余地はないが最も当たり前の「ボールを止める」技術の違いに驚愕した。

序盤から格の違いを見せつけられ日本代表は早々に何も出来なくなりプレーに自信を失っている様だった。
後半のピッチに出て行く姿に開始早々の勢いは無く個々の迷いが露呈していた。

現在の日本代表の技術レベルは過去の代表より格段に高い事は間違いない。
然しながら明らかに不足している点や課題は解説の小野君の云う通りだった。

個人的には今後の日本代表の課題はポスト遠藤と思われた。前線への組み立てが悉く潰され何も出来なかった。次のプレーに繋がる最適な場所にボールを止められず判断が遅れ詰められターゲットを失くし苦し紛れに一人で前に出るだけだった。ブラジルの寄せの速さやゾーンの掴み方、全ての面で圧倒された。

日本は既に或る程度の技術と戦術はモノにしている。決定的に足らないのは「ボールがトモダチ」に実はなっていない事だった。

今更ながらに基本練習が如何に大切なのかを思い知らされた。

初戦の完敗を糧に残り試合に全力で臨み「何が自分たちのサッカーに本当に足らないのか」を掴んで帰って来て欲しい。

ベッケンバウワーが監督時に歴代代表チームで最悪と酷評され予選から辛勝を重ね遂にはW杯に優勝し「私はワールドカップで優勝をする為のチームを作って来た」と後に雄弁に語っていた。

サッカー選手の最大の目標はW杯優勝だ。まだまだ時間の猶予は残されている。

日本代表が今大会を通し更に成長し日本に帰還する事を願う。頑張って欲しい。






大阪は久々に恵みの雨で記録的猛暑だった今週も漸く一服し涼しくなった。

週半ばに豊中で37度を越え兵庫の豊岡や京都の京田辺等、体温近い猛暑の中で熱中症に注意する様に気象庁も警戒を呼び掛けていた。

髪もボサボサになり暑さで我慢できなくなり漸く散髪に行った。
「だいぶ伸びたな~短くしとくで」いつも通りマスターお任せで刈り込んで貰った。
帰宅したらカミさんに「アンタえらい短かしてもうてんな~、コボちゃんみたいやんか」ゲラゲラ笑われた。

今週は予想外の晴天続きで連日チャリで仕事廻りに精を出した。お陰でアッという間に顔と腕が日焼けした。軽い火傷の様にヒリヒリする。日焼け止め塗らないと身体に悪そうだ。

先日は資料提出に本町に出た帰りに久々に教会に立ち寄った。


大学のクラスの子が教会に行った写真をFBにアップしていた。
40年前に小学校のミサで行ってた頃と何ら変わってない。結婚式後も数回来た程度で前に来たのはかなり昔になる。

誰もいない教会で一人祈った。「天使祝詞」も「主の祈り」も一言一句忘れていなかった。

http://hosanna.romaaeterna.jp/prayer/oratio/avemaria.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A

帰り際に事務室の女性の方と話した。結婚式をして頂いた神父さんは既に天に召されたとの事だった。
結婚式は学校のツレからバイト仲間、会社関係者まで400人近く来て頂き満杯だった。
「祝儀も何もいらん、来たい奴は勝手に来い」
殆ど女っ気のなかったアホが早々に所帯を持つと大半のツレは驚き参列した。芳名録を作らなかった事を今もカミさんは悔いる。

披露宴は進行表やBGMも全て自分で作り今思えば至らぬ事も多々あったが若造が精一杯考えカミさんと二人で進めた共同作業は今は懐かしい思い出だ。


神父さんに挨拶し教会を出てから通っていた小学校を訪ねた。

ブラバンの恩師の先生は元気そうだった。63歳になられたが殆ど変わってなかった。
職員室に入りシスターにお茶を頂き先生方と暫し歓談した。大半の先生は面識なかったが全国大会に出た事は皆が知っていた。
お世話になった先生方も多くが他界された事も初めて知った。
一人の生徒が職員室に入って来て怒られていた。在学中に頻繁に呼び出されていた自分の昔を見ている様だった。

「頂いたクラ、修理出したら音出るようになって今も一応吹けますわ」と言ったら笑っていた。
在学中に指導頂いていた頃は先生は29歳だった。4年生の時に学校に赴任された。バンドは元々は前にいらした先生が創部したが急に学校を辞められ後任で来られた。
先生が変わり大半がバンドを辞めたが同級生は6人残り最終の6年の時にコンクール優勝で全国大会出場となった。

祝勝会として同級生6人と先生でミナミに出掛けた事を今も覚えている。楽しい一夜だった。

この学校に赴任されるまで某有名楽団にいらした事を当時誰も知らなかった。

先生に挨拶し学校を後にした。六年間通った通学路をチャリで流しながら昔の事を色々思い出した。途中の仁丹とコピーの会社は様変わりしたが周囲は昔の風情が残っていた。
元々は大阪の富裕層が多数住んでいた大阪でも数少ない閑静な「山の手」だが、モノを知らない連中は只の不便な場所程度にしか理解していない。

通学していた頃は大阪万博から数年後で環状線は狂った様な混雑だった。ホームは煙草の煙で真っ白で電車は息も出来ない程だった。時には身体が宙に浮いている事もあった。現在の山の手線のラッシュなんか高が知れていた。


仲の良かったツレが数年前に他界した。数日後に集まって飲む約束をしていた矢先の訃報に耐え難い程の落胆をしたのも既に6年前になる。

幼稚園の頃に殆ど家にいなかった親父の一言で南浦和から大阪に移住し早や40年。

親の期待や自己実現を十分に満たす人生では無かったかもしれないが家内と二人で日々幸せに暮らせる事を感謝しながら今後も自分の生を全うするしかない。

翌々週は結婚20周年…家内を連れ美味いモノを食べ祝いたい。