A Cheap Log. -12ページ目

A Cheap Log.

Kei

寒い日が続く。例年にない冷え込みで今日も大阪は最高気温一桁で外を出歩いても熱が体からどんどん逃げて頭の芯まで疼くような感じだった。

ここ暫く仕事を詰めて柄にもなく頑張ったせいか少々疲れが溜ってきていた。
10月末に転寝して風邪を拗らせてから体調が芳しくない。唇の腫れと喉の痛みが一向に治らない。
市販薬飲んでも全く効かず先週ようやく医者に行って血液に尿レントゲンと検査したが然程悪い所は見当たらないとの医者の診断。「喉が炎症起こしてますね」そんな事分かっとるわい…
取敢えず処方箋の薬を服用して様子を伺ってるが若干マシになった位で小康状態が続く。

家内は先週から漸く職場に復帰した。
役所の某部門の責任者で家内が手術入院中は大変だったらしい。皆から花束や色んなモノ贈られて少々照れていた。
まだ暫くは体調は万全じゃない。朝晩は車で送り迎えしてその間に自分の仕事をする日々が続く。

先日、家内の迎えついでに選挙の期日前投票しようとロビーで待ち合わせ、トイレに行って手を洗ってたら「○○さん久しぶり」と声を掛けられた。
顔を上げると大阪府会議員になった昔のサラリーマン時代の同僚がいた。

取引先の社長からのヘッドハントで移籍した会社の同僚で年は少し上だった。同じ管理職だったが僕は役員並の待遇でアッパーミドルの端くれだったが結局この会社は反りが合わず最後は当の社長から三行半突きつけられ追い出される事になった。

議員になって約1年半。すっかり「先生」が様になっていた。
家が近所で僕が家の前でバイクやらチャリやら整備してると寄ってくれて立ち話を昔はよくした。
本人の人柄は嫌いじゃないがバックの党が僕は嫌いで当選後は距離を置いていた。
トイレを出てからロビーで暫く話をしていたら党のエライさん来て名刺交換した。以前に会ってるのに全く覚えてない様だった。
「年を越せない地場の中小企業が大量に出そうで大変な事態だ。本当に出鱈目な政権だ」と叱責していたが元を正せば野党に陥落した旧与党の党首が事態を悪化させた事は明白だ。

その後家内と期日前投票済ませたが「アンタ、本人確認てあんなええ加減なんでええんかな?」とビックリしてた。同感だった。


先週末の7日はみぃ子の命日だった。

早いものでもう6年前になる。今思えば色んな事があった年だった。

行き詰った家内の両親の面倒見る事になり中古の家を近所に買ったが約束した僅かな家賃も全く払わず2年以上経ち「いい加減にしろ」と自己破産と生活保護申請させて漸く何とかなった矢先に癌でアッという間に家内の父は他界した…

僕の母も大怪我で長期入院し御世話になった義父も脳梗塞から14年の闘病の末静かにこの世を去った。

前年の暮には長い間仕事で御世話になり僕を支援して下さった取引先の親父さんが同じく癌で急逝された…

この年は結構長い間何もせずブラリだった。「これからどうするのか自分で納得できるまでゆっくりして」と家内の言葉に甘えていたらアッという間に秋になった。

この間、みぃ子をずっと病院に連れて行って点滴注射する日々が続いた。

秋になり僕も漸く再始動しバタバタし始めたが、みぃ子は日増しに衰弱していった。

亡くなる前日、体調が急変し深夜に救急病院に連れて行き出来る限りの処置をして貰い夜が明けて昔助けて頂いた病院に連れて行ったが、
「出来る限りは手を尽くしましたが非常に難しい状況です。前の時みたいにもっと前に連れて来てくれてらしたら何とか出来たかもしれませんが…」
近所の医者を恨んだ。そこまで悪いとは云わなかった。延命的な治療に否定的だったのかもしれないが、それを決めるのは医者じゃない。アンタは神じゃない。

明け方、みぃ子は天に召された。家内と二人、言葉にできない喪失感だった。

それでも数日間、一緒に過ごした。認めたくない現実を受け入れられなかった。

数日後にみぃ子を火葬で送り出した。10数年一緒に暮らした家族と別れるのは耐え難い辛さだった。

今年はみぃ子の魂が天に召された時間まで起きていて大好きだった牛乳と線香をあげて暫し遺骨を抱きしめた。
家にいつまでも置いておくものじゃないと云われるが知った事じゃない。構わない。

本当に賢い子だった。タバコ買いに行く時はいつも一緒について来てくれた。カミさんと買い物行く時もリードをつけて一緒に近所の商店街を歩いてたら道行く人がビックリしていた。

優しい子だったが勝気で時にはケンカして怪我して帰って来た。
親バカだが本当にベッピンで可愛い子だった。

「子供に恵まれなかった私らに、みぃ子は天の神様が授けてくれたんよ」カミさんが言った。


あれから6年。チビとユキが僕らの家族になって早3年目の冬を迎えた。

家族4人、これからも末永く元気に仲良く暮らしていけるようにと、みぃ子にお願いして暫しの間遺影に手を合わせた。








今年も残り一月を切りグッと冷え込んで来た。

今日は昼から某団体の会合に呼ばれ久々に出席、二時間程話をした。夕方に帰宅、小雨混じりのこの冬一番の寒い一日だった。

帰宅してTVのニュースを見た。どの局も中央道の大事故を大々的に報道していた。トンネルで天井が崩れるとは夢にも思わなかったろう…
お亡くなりになられた方々のご冥福を祈らずにはいられなかった。


先月の20日、家内は予定通り退院した。


長い様で短かったこの一週間。帰りに神戸屋レストランで食事をしながら長い時間話した。家内は入院中の事をずっと話していた。そんな家内を見ながら無事に退院できた事に感謝の気持ちで一杯になった。

帰宅して家内を布団に寝かせた。一週間ぶりに帰った家内の枕元で、チビとユキは親子揃って家内の顔を見ながら身動ぎもせずに長い間ずっと見守っていた。
そんな様を見ながら、この子らなりに妻の事を心配してたんだと思うと無性に涙が込上げてきた。家族なんだと実感した。

自宅に戻ってから家内の健康状態は日増しに良くなっていったが、精神面で多少不安定さが残っていた。辛い日もあった。それでもこの数日でかなり元気になって来た。

何事もなく穏やかに過ぎ去る日々。平穏な日常がこれ程大切なモノだと云う事を、いつの間にか忘れていた。「いつも幸せ過ぎたのに気付かない…」そんな昔の唄を思い出した。

炊事洗濯に掃除、時間があれば殆どするようになった。最近は家の事は妻に任せっきりで何もしない怠け者になっていた。
久々に毎日食事の片づけをしてたら手の脂がどんどん抜けてカサつき出した。

中学から高校時代、母が喫茶店をして家族3人で何とか暮らしてた頃、家の手伝いとバイトの皿洗いで手がボロボロになってた事を思い出した。
今の自分の手はいつの間にか「労働を知らない手」になっていた。


家内が退院してから久々に連日黙々と働いた。

様々な想いを断ち切る様な気持ちで仕事に集中した。

どれだけ頑張っても叶わぬ事やどうにもならない事は人生の中で多々ある。それに押し潰されそうになる事や諦めなければならない事もある。

それでも前を向いて生きて行くしかない。


「人」の「夢」で「儚い(はかない)」か…


土曜は昼前から先月テスト施工した現場の再テストだった。

西宮北口駅前の大手金融機関のビルは流石に慎重だ。前回のテストでOKが出る筈が、今回で最終的に見極めたいとの事だった。
最初の施工予定から㎡数が大幅に減ったが取敢えずは新規の取引。今後頑張って拡げていけば良い。


今年は仕事やプライベートで予想外の思わぬ方向に事が進み、楽しい事も勿論あったが苦しむ事の方が多かった。

晦日までの残りの日々を悔い無く生きて清々しい気持ちで家族で新年を迎えられる様に頑張りたい…





昨日の土曜は天気予報通りの朝からドシャ降りの豪雨。夕方まで間断無く雨が降り続いた。

家内は術後の経過も頗る良好で日増しに元気が戻ってきた。翌日の木曜日こそ麻酔が切れてきて辛そうだったが、金曜日には急回復し喋るのもだいぶ楽そうだった。

土曜は雨が止んでから夜半に病院に行った。すっかり元気になり他愛ない事でケラケラ笑っていた。「お腹痛くなるからあんまり笑かさんといて」楽しそうだった。そんな家内を見ていて本当に一緒に生きてこれて良かったと思った。

「ふぞろいの林檎たち」の中で小林薫さんが「俺はコイツじゃなきゃ駄目なんだ」と言った場面を思い出した。

19年前に玉造教会で誓った言葉の通りに色んな事があったが、一緒に暮らし始めてから今までずっと幸せに過ごしてこれた。
こんな出鱈目な男に本当によく尽くしてくれた。言葉では尽くせない程、感謝の気持ちで一杯だ。


今日は朝から晴れ上がり洗濯してバタバタと慌ただしくしてたら急に大雨になった。慌ててベランダから洗濯物を取り込んだら程なく天候が回復、快晴となった・・・
「天気いいから久しぶりにバイクで出掛けておいで」と、家内からメールが届いた。

最近、一人で走る事は皆無だった。色々と煩わしい事が続いて、そんな気分に全くなれなかった。
次はたった2点で免停。取敢えず1年間は用心しないといけない。
それでも気晴らしに「走りたい」とかなり前から思っていた。

折角だ出掛けよう。バイクを置いてるもう一戸の家に向かった。

最近建った近所の建売住宅の端にできた小さな公園に向日葵が一杯咲いている。
車を取りに行く途中、いつも目に飛び込んでくる。
向日葵は夏の花と漠然と思っていたが、寒くなっても雄々しく太陽に向かって花を咲かせていた。凛とした冬の青空に鮮やかな黄色は殊更綺麗だった。


ガレージを開けてバイクを出した。

最初はヤマハにしようかと思ったが、今日は久しぶりにカワサキに跨って阪奈まで走った。

復活させてからタイヤをオン寄りに履き替えフロントサスも奇跡的に新品デッドを入手し交換した。かなり状態は良くなった。
前のサスが完全に抜けて全く効いてなかったから、感じがかなり変わって最初は躊躇した。暫く乗って無かったから勘も鈍ってる。
だいぶ下手になったと思いながらも、2ストのノンバランサーの強烈な振動に快感を覚えながらアクセルを開けて暫し走った。

時間があまり無く生駒スカイライン入り口で折り返して早々に家に帰った。

帰宅してチビとユキに少し早目の晩ご飯を与えて、家内の母を車に乗せて病院に向かった。
家内はもうすっかり復調し歩くのも全く問題ない。火曜日の午前中には退院できそうだ。

一週間なんて本当にアッという間だ。家内の入院中に仕事の整理や家の片付け等、溜ってた事を色々とやろうと思っていたが、思った程には何も出来なかった。

今年も残す所あと40日弱。良い年だったと思えるように粛々と自分のやるべき事をシッカリやっていくしかない。

家内が退院したら、先ずは美味しいモノをご馳走して新しい眼鏡を新調してやろう…


ここ数日めっきり冷え込んできた。

11月に入りずっと調子が悪い。疲れが溜ってくるとガキの頃から決まって唇が腫れあがってくる。
木管吹いてた頃は唇が裂けてリードがよく血だらけになった。熱は出ないが体がダルくしんどい。
風邪薬も効かず喉と鼻が2週間近く辛い。

昨日はサンルーフの修理が終わってボロ四駆が戻って来た。自宅までツレが持って来てくれた。「悪いな、茶でも行こか」「次まだ納車行かなアカンねん」本当によく働く。俺とエライ違いや。

夕方になって所用で久々に乗って出掛けたら天候が急変し雨になった。暫くして雷が連発で落ちた。大阪で冬季雷は珍しい。雨は一向に止まず夜半まで降り続いた。金木犀の花も殆ど散り落ちた。

昨夜は殆ど眠れなかった。今日は朝から晴れ上がり病院に行く支度をして9時過ぎに家を出た。

10時に病院に到着し術前の準備をして午後1時に家内は手術室に入って行った。

待合室は一杯で病室に戻ってベッドに寝転んだ。5年前のバイク事故で入院した頃を思い出した。
暑い夏の最中に家内は毎日来てくれた。手術中に麻酔が効かなくなり激痛で苦しむ僕を術後一晩中寝ずに看病してくれた。本当に大変だったろう…

家内と最初に出会ってから今日までの事を思い出し暫し落ちるように寝込んでしまった。

目が覚めて手術室に戻った。予定よりだいぶ遅い。4時を過ぎても終わらない。心配になって看護師の方に聞いたらすぐ確認してくれて「もうすぐ終わります。時間かかりましたが手術は無事成功です。」と教えてくれた。

程なく扉が開いてベッドに寝たままの家内が出てきた。麻酔が効いていて意識はあるもののボンヤリしていた。

5階の病室に戻り看護師さんらに点滴や機器のセットして貰って漸く落ち着いた。

家内は吐き気が暫く止まらなかったが痛みは全く無く大丈夫と、か細い声で言った。

家内の手を握り額を擦りながら手術の様子を聞いた。麻酔してから一気に意識がなくなり気づいたら手術は終わっていたらしい。3時間以上かかった事を教えたらビックリしていた。

「色々とゴメンね…」

謝らなくちゃいけないのは、僕の方だ。
順風満帆で始まった結婚生活を、僕の実家の事情で苦しい道に引き摺りこんでしまった。大変な苦労を一杯させてしまった。
そして結婚した女性の最も大きな夢や喜びを、とうとう叶えてやれなかった…

面会時間の8時まで傍にいて、病室に家内を残し部屋を出た。

帰りの車の中で手術が無事成功し良かったと安堵し今までの様々な事を思いだしていたら、いつの間にか頬が濡れていた。

帰宅してからチビとユキに晩ご飯を与えたら一気に疲れが出て崩れた。

思えば結婚してから僕が家にいて家内がいない事は、恐らく10日もなかったと思う。
昔は一人暮らしが長く何とも思わなかったが、家に一人でいると本当に静かに感じる。
親猫のチビがさかりで久々に喚き散らし甘えてくる。傍から離れない。膝に乗せると静かになる。

順調に経過すれば来週の火曜日には退院できそうだ。

今週末は国内最大手の設計会社から引合のテスト施工が控えている。恐らく年内最後の仕事になる。

無事発注が確定したら、家内をどこかに連れてってやろう…


http://www.youtube.com/watch?v=nbxFiTJKjhQ



霜月に入り朝晩メッキリ冷え込んできた。猛暑やった今夏が遠い昔のような清々しい朝で気分もシャッキリしてきた。

ここ最近は少々バタバタと追われ気味やった。契約も1件片付き新規引合も入ってきた。

水曜日はカミさん連れて病院。手術前の説明云う事で先生から詳細をお話頂いた。
いよいよ14日に手術。そない難しい手術やないと聞かされても心配なんは変わらん。何事もなく無事終わる事を今から祈ってる…

病院の帰りに久しぶりに神戸屋レストランで食事した。

ウチの近所は昔は結構上手い店ようさんあったけど景気左前なってからエエ店が次々に無くなってしもうた。残ったんは安いだけの食後の満足感の残らん食べモン屋さんだらけ。

神戸屋レストランはパンは勿論やけど料理はホンマ上手い。キチンと調理されて細かい所まで味付けが行き届いてる。値段は決して高くない。逆にこの料理でこれやったら格安やと思う。



金曜はサンルーフの修理で日産に車持ち込んで急いで帰宅。

19年働き続けたシャープのブラウン管からソニーの液晶テレビに買い替え設置してもうた。
結婚してから冷蔵庫と洗濯機は買い替えたけど電子レンジはまだ現役。テレビは我が家はよう見てる方やのにホンマ潰れんとよう頑張ってくれた。昔の国産家電は耐久性はやっぱ凄い。
工事の人らに回収して貰ったけど「長い事お疲れさん、おおきに」と手を合わせた。

土曜は朝から仕事で帰ってからチャリ整備に車のサンルーフのフィルム貼りに片付け、バタバタと追われまくって風呂入って夕方キタに出た。

FaceBookで大学のサークルのツレから久しぶりにサークル飲み会の連絡入って行く事なった。

大学時代は自分で学費稼いで親にも月10万手渡してたからあんまし余裕なかった。4年間で800万ほど稼いどったけど卒業ん時は一銭も残れへんとスッテンテンやった。

自分で稼いだ金で行ってたから授業は寝てようが何しようが取敢えず出た。
部活なんか金持ちやなかったらやってられん。精々サークルくらいやった。

同じ学部のツレに誘われて入ったサークルは、学内でも結構有名な大所帯やった。バレーにバスケ、テニス、ラグビー、サッカーと体育会には入らんけど結構真剣にスポーツする子だらけで軽く100人以上おった。

コンパん時は結構乱痴気やった。南禅寺辺りの湯豆腐屋で大暴れして出入り禁止なった事もあった。

土日はずっとホテルの配膳の仕事やったから試合や合宿も殆ど行かれへんかった。所謂「幽霊」やったけどみんな事情分かってたから顔出した時は色々気ぃ使ってくれた。

サークルの仲良かった同級生は、東京や大阪でチョコチョコ飲んだりしとったけど、サークルの飲み会としては大昔に三条で一回行ったきりやった。そん時も学年ちゃう人らは殆ど分からへんかった。

今回13人集まる云う事やったけど、同級のツレ以外殆ど覚えてへんかった。

朝から仕事やら何やらでバタついて遅れてお初天神の飲み屋に到着。やっぱ殆ど顔と名前が判れへんかったけど、暫くしたらワイワイ騒ぎ始めて二軒目はドンチャン騒ぎやった。

こっちが覚えてなくても向こうは覚えてくれてた。
もうチョイ余裕あったら四年間色々楽しめたやろな~。みんなの昔話聞いててそんでもこうして集まれるん有難い事やと思った。

久しぶりに若い頃の事思い出した。楽しかった。またみんなで集まりたい。