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石田マネジメント事務所

技術やものづくりに関する最近の話題と気づき、ちょっとした備忘録を書いています。

これは過去にも何回か書いてきた通りなのですが、日本のITは90年代あたりにはすでにアメリカの軍門に下っていたように思います。

 

ITというとわかりにくいが、その昔は大型汎用機上における情報システム開発が源流になりますが、汎用機のハードウェア価格の利益の中でソフト開発が行われていて最初の頃はあまりコストが問題ではなかった。

 

90年代のオープン化の時代になって汎用機がUNIXハードウェアに代替されるようになると、ハードウェアの利益で賄えなくなり、ソフトウェアのQCDが表面化した。

 

これには発注側の傲慢さにも原因がある。かつて、某銀行の役員は

 

 「技術はニーズの奴隷であるべきだ」

 

と豪語していたことが物語っているように、作成者側の事業採算を度外視するような無理難題にインテグレータも閉口しがちになったわけですが、システム開発のコスト採算性が厳しくなるにつけ、開発体制の重層構造の下部にしわ寄せが行くようになった。

 

結局、NTTデータを頂点とし、日立、富士通、NECといったSIベンダーとその各社の冠がついた情報システム子会社、孫会社さらにそこから発注を受ける中小ベンダーという重層構造の中で、ひたすら人月うん十万円・・の人月ビジネスが当たり前になってゆきいまの現状がある。

 

日本は「既得権益」が政財界、医療、教育界・・・にあまねく存在していて、SIの人月ビジネスも同様です。これがある限り日本からは世界に通用するITの付加価値は絶対に生まれません。

 

ドイツはSAPという基幹業務システムが世界中に売られていますし、アメリカにもOracleのパッケージほか各業種用に多くのIT製品があります。日本発のそうしたシステムなど聞いたこともありません。

 

 

これについては、いろいろなことが言われていますがその理由、背景要因はたくさんあると思われ、今後何回かにわけて個人的な意見を書いてみたいと思います。

 

自分がサラリーマン人生を通じて感じるのは

 

◆ソフトウェアのように無形の生産物に対する価値が日本では認められない

 

◆ソフトウェアの付加価値を人月単価でしか評価しない

 

◆市場規模が中途半端なくせに、メーカーが多すぎて共倒れになる

 

◆戦後の数十年にわたるモノづくり信仰が、工場を本社組織が統制できない存在にしてしまった

 

◆新興国の興隆に対して日本人感覚のみによる高価格・高付加価値化に走った(海外の消費者をまじめに研究しなかった)結果、そこそこ機能とほどよし品質で低価格な中韓に敗北(自滅)した

 

◆大手企業の経営者に、経営者がいなかった。育てることができなかったし、経営とは本当のところ何をすることなのかわからせる仕組みが全くなかった。

 

というようなことに尽きる。

こういうタイトルの面白い記事があったので、備忘録の意味でここにメモしておきます。

 

この記事は出口治朗氏が書いたものでココにでています。

 

簡単に要旨を整理すると以下の通り。

 

日本の製造業とGAFAの違いは、「女性」「ダイバーシティ」「高学歴」の3つがある。ここでは主に最後の高学歴について書かれている。

 

・戦後の日本は低学歴国になってしまった、というより、製造業の工場モデルに過剰反応して社会全体が製造業をロールモデルにしすぎてしまった

 

・GAFAやユニコーンの経営層は、ほぼ大半がダブルドクター(2つ以上の博士号取得)、ダブルマスター(2つ以上の修士号取得)で従業員の大半も大卒以上である

 

・日本の大学進学率は53~54%だが、OECD平均より7ポイント以上低い。

 

・日本人は大学で勉強をしない。これは100%企業が悪い。いい会社の多くが採用基準に学業成績を取り入れていない。結局、採用は面接だけで決まる。そうしたら、誰が勉強するかということになる。

 

・社会人になったら年間2000時間労働である。データを見ても、平成の30年間、正社員の労働時間はまったく減っていない。それだけ働いてGDPがたったの1%成長なのだから悲しくなる。勉強している暇もない。

 

・世界最先端のGAFAやユニコーンで働く人たちは一所懸命勉強している。こんな労働環境で、日本人はいつ、どこで、勉強時間を確保するのか

 

・ドイツやフランスは、年間1400時間前後の労働時間で2%成長をしている。

 

・日本は社会構造的に低学歴になっている。これからの日本は「メシ、風呂、寝る」ではもうもたないので、「人・本・旅」といった勉強する生活に変える必要がある。