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石田マネジメント事務所

技術やものづくりに関する最近の話題と気づき、ちょっとした備忘録を書いています。

戦後の長い間、工場はものづくり大国を自認する日本製造業の砦として機能してきました。高度経済成長の時代は、「品質」「安全」「生産性・合理化」が尊ばれ、今もあまり変わっていない。

 

日本製品の品質が高いことはよく知られているところですが、日産自動車や最近の三菱電機における検査がインチキだった事例の根っこはこの長い間の「品質」「生産性・合理化」に対する、過剰なまでの要請が及ぼした負の遺産だと思います。

 

そうした風土を醸成したのはさらに根っこが深い。前にも書きましたが、現場層と幹部層では学歴が異なり、同じ会社の社員といってもキャリアが異なります。管理者とか経営幹部層に対する現場サイドは、キャリア的に不利な扱いを受けているという気持ちもあって、ある種の敵愾心のようなものを濃厚に持っている。

 

幹部層はというと、ものづくりにおける品質、生産性向上といった重要ファクターを主にこれらのひとたちの力量に強く依存してきました。そのため、生産性向上のために仕組みを変えるとなると、要求はしつつも腫れ物にさわるがごとくになりがちです。そうなると、現場層は「あんたらがそうしろというならそうするので、具体的に示せ」というかんじになる。

 

「安全」のために厳しく統制し、「品質向上」「生産性向上」のために数値目標化してあれこれ現場に朝令暮改的なことを言いたびに、作業員とか作業長などはネガティブな指示待ち状態になっていったのです。

 

組立て工場だけでなく、24時間稼働するようなプラント設備工場であってもこのような風潮は大差がないと感じています。欧米の石油化学工場では日本と比べ、文書化もしっかりなされ機能的なコントロールの仕組みによるシステマチックな設備運転、保守を行っていますが、日本では実に属人的に行われている。

 

だからIT化だ、セキュリティだ、DXだといっても属人化しすぎた日々の業務とかを前に空回りすることになるのです。

製造業に長く勤めていました。本社組織も経験しましたし、工場にも結構長く勤務していました。近年では国内製造業も、生産拠点を海外に移転させたりしているので、昔とは状況も変わってきてはいるのでしょう。

 

ここでは、国内の工場というところの持っている特徴を書いてみたいと思います。

 

工場というところは、製造ラインを持っているので作業服を着て日々仕事をするのですが、本社と比べると「決まり(ルール)が多く、厳しい」といえます。

 

ケガとか、場合によっては死ぬような事故もおきるため安全については特にやかましく躾けられます。そういう現場を仕切っているのは製造現場の人たちですが、工場長はじめとする幹部層と製造ラインでは職能も違うし、学歴も異なります。

 

そういう現場たたき上げの人たちに日本の製造業は長い間支えられてきたわけですが、それに依存してきたこれまでの何十年という時間があれこれとあしかせになっているというのも事実です。

 

セキュリティだとか最近だとDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進する上でいわば「抵抗勢力」のようになっているとおもいえます。

 

またIT、特に情報システム面ではどうかというと、会社によっても違うのかもしれませんがかなりやっかいなことになっている。

 

人と情報システムの両面で少なくとも日本国内に存在する工場(大手企業は特に)は本社の統制が効きにくい厄介な存在になっているという傾向があると思います。

 

バブルがはじける前の1980年代までの時代に社会人になったのですが、1970年代までは作れば売れる時代でしたが、80年を過ぎるころには、巷にモノがあふれて当然売れなくなってきました。

 

しかし会社組織は慣性が強く働くところで、潮目が変わったからといっても行動原則を変えることは非常に難しかった。同業他社もたくさんあって、例えば私が入社した電子事務機とか総合電機、携帯メーカなどは

 

電子事務機:

 リコー、キャノン、エプソン、富士ゼロックス、松下電器、シャープ・・・

 

総合電機:

 日立製作所、東芝、三菱電機、松下電器・・・

 

家電:

 ソニー、松下電器、日立製作所、東芝、三菱電機、シャープ、三洋電機・・・

 

携帯電話:

 NEC、日立製作所、富士通、三菱電機、東芝、シャープ、三洋電機、松下電器、京セラ・・・

 

などという状況で、どこも主として日本国内市場向けにこれだけの数の企業がひしめいていたわけです。

 

当然過当競争になる。かつて、スティーブジョブズが市場にあふれる日本の製品を称して「海岸に打ち上げられた無数の魚の死骸」といっていましたが、まさにそのような状況だった。

 

PC、家電、携帯などは早い時点で採算が見込めないことはわかっていましたが、ズルズルと判断が先延ばしになったのは、

 

 辞めるのは簡単だが辞めてどうするのか

 

ということに目論見を持てる事業責任者(事業部長とか役員)がいなかったからです。辞めたらその事業に関わっている人のクビを切るのは容易でなかったし、その他の事業に回ってもらうことにも抵抗が多かったからです。

 

大きな会社になると、声を大にして反対する役員がいて、創業者の系統だったり過去に大きな売上を出して不動の地位を築いている守旧派の経営層に対して反対できなかった。往々にしてそういう人物は、その下には子飼の人間を充てているので、自分を引き上げてくれた先輩でもある人の意向には絶対逆らわない ということになるわけです。

 

こうして過当競争状態にある産業領域は手が付けられることなく、ひたすら先送りされ、その後の中韓の追い上げになすすべなく敗北したのです。