俗に魏志倭人伝として伝えられる、三国志の中に出てくる話に、邪馬台国とか卑弥呼が出てくる。今もって近畿か九州かと論争があるが、この書物を書いた陳寿という人物が当時の魏の王様である司馬懿に忖度して書いたものなので、卑弥呼などは架空の人物だという人がいる。自分もそうだろうなと思っています。(偉大な司馬懿陛下のために、はるか彼方の野蛮な国から蛮人が貢物を持ってやってきた というストーリ。重要なのは邪馬台国がはるか彼方の国だという点です)
もちろん邪馬台国や卑弥呼のモデルになった国や人物はいたかもしれないが、距離がどのくらいだとかいう類の話はナンセンス
だろうと思います。
ところで、こういう本もあって、これは日本書紀や古事記以前に存在したと言われている、帝紀とか天皇記などについて、過去
に研究した人たちの内容を集めて論説しているもの。これらは蘇我氏が保有していて、中大兄皇子が乙巳の変で蘇我入鹿を斬った際に焼かれてなくなったと言われています。
中大兄皇子がその後天智天皇に即位してから日本書紀を編纂し、娘の持統天皇の代にようやく完成したのですが、これも俗に言われるように政権運営者の正当性を示すためのものと言われていて、まぁそうだろうなと思う。しかし、帝紀や天皇記を持っていたのが蘇我氏なので、蘇我氏が自らの正当性を主張するために書かれたものであったとも思えますから、どれもどっちだけが100%正しいということでもないのでしょう。
こういう歴史関係のものを書く場合、比較的近い時代のことは、当時を知っている人や、伝聞でわかっていることなどには一定のリアリティがあるのであまりにも荒唐無稽なことや、伝承されていることとあまりにも違うと、嘘つけ! となって朝廷の権威という面では逆効果になりますから、そこそこ事実に近いことが書かれていたのではないかと思います。
大昔の神武天皇の頃は神話でもよいといいますか、当時の人たちも、神話だろなと思っていたとは思います。でも、神武天皇が奈良のヤマト地域に入ってくると、すでにそこにはニギハヤミノミコトという豪族がいたという話もあります。きっとバトルにはなったでしょうし、その後の時代も、蘇我氏の時代以降天皇家自身と蘇我氏や物部氏含む周辺豪族同士の権力闘争が絶え間なく続いてきたことを見ればあちこちでバトルしていただろうと想像できます。
その後数百年たち、室町時代になっても朝廷といわず武士といわず絶えることなく権力闘争が続き、やがて応仁の乱となって京の都が火の海になる。こうして下剋上になった戦国の世を治めた家康が、遠い飛鳥時代からの紛争の火種を根本的に除去する策がようやくとられたといえるのでしょう。
