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自らの文章のアーカイブと考えている

やっぱパリはすてき! 2006年03月13日

フランスで労働法の改正が行われようとしている。

 それは「24歳以下で雇用2年以内の試用期間であれば、理由が無くても解雇できる」というもので、共和国政府は雇用の増大が目的だと言う。

 それに対しパリで多くの学生を中心とした人々がデモを行った。

 そこには、1968年のパリの街頭を中心として闘われた5月革命を彷彿とさせるシーンがあった。5月革命はリセの学生が中心だった。

一連の爆弾闘争を行った、東アジア反日武装戦線は学生の特権を捨てるところからスタートした。それは大杉栄が労働者の町に住み新聞を発刊した運動に近似しているかもしれない。

 しかし、「学生の特権」を利用し運動していくことは大変重要である。なぜなら労働者は常に雇用主からの脅迫に怯えているからだ。学生が運動を牽引していくこと、これなくして市民運動は活性化しないだろう。

 ところが最近の日本国籍を有して日本の大学に行っている学生は、総じて「おとなしい」。真面目で人の話しを聞くし(私が関係している団体の集会に自分から来たりするのだからあたりまえかもしれないが)、メモをとったり熱心さもあるが、「おとなしい」。

 ここでいう「おとなしい」と言うのは「批判」することをあまりしないのだ。数人の親しい学生の話が前提であるが、かつての「いじめ撲滅運動」が原因のようだ。

 「いじめをしてはいけない」が「批判をしてはいけない」になるようなのである。

 その結果、WTOに関してはサミット参加国で唯一反対運動の無い国になってしまったのかもしれない。権力には常に批判的でなければならないはずである。
少子化 プロクシミテの可能性 2006年02月22日

少子化と同時に進行しているのが「地方」の「過疎」である。

 それは深刻である。
 農業の大規模化、農地法、減反、鉄道・道路の発達、中央集権制、等あらゆる原因が浮かぶ。地方でギャンブル農業をするより、都市部で給与所得者になった方がいいという判断である。

 行政は地方に合併を強要しさらに支配を強めようとしている。これらの問題は地方分権の問題に行き着くのである。

 1968年のパリの街頭を中心として闘われた5月革命が目指したものは、中央集権社会を否定し「自主管理」を求めるものであった。

 「自主管理」はフランス政府の暴虐な植民地政策に端を発し、管理社会化で疎外感を深めた人々の希求が源泉であった。分権的社会を望んだその革命が敗北に終わったとしても、その意味はけして小さくなかった。

 例えば、地方辺境文化が復権し少数言語であるブルトン語、オクシタン語、カタラン語等が大学入学資格試験に採用されたことで象徴されている。これはエスペラント思想と通ずるものと言えよう。

 これらのことは同化統合主義の否定であり、人間性の確認であったと思う。

 また、国家など権力集団を危険視したのもパリ5月革命の一面であったと思う。その精神はひとつの国家より、ひとつのコミューンを大事にした。

 5000万人の国家より、400人の村を重要視したのである。

 この単位をプロクシミテと言い、フランスの基礎的な自治体のカタチである。フランスでは、個人主義とプロクシミテ(地元への密着という意味)が基本原則であり、議会、役所、学校などほとんど自主運営である。

 演説する政治家より、となりの人を大切にしたのである。
 人間性を確保したのである。
 ものを考える単位を「個」にすることも必要である。クニがどう思うか、我々がどう思うかではなく、「私はこう思う」という単位である。

 バクーニンがマルクスの「プロレタリア独裁」理論を批判し、その批判に感銘を受けてアナーキズムに目覚めた人も少なくない。そこには「個」の論理があったからだ。組織化することは権威・権力を産むことにつながるから、アナーキズムは相互扶助を眼目とし「愛」を要求するのである。

 プロクシミテの可能性は日本では皆無である。

 大言壮語になってきたが、「個」の確立が重要であるということである。

パット・ティルマンの戦死 2008年08月14日

パット・ティルマンはアリゾナ州立大学からアリゾナカーディナルスに入ったアリゾナのスターであり、NFLのスターでもあった。

 「あった」というのは、彼がイラクで戦死したからだ。
 9・11を「体験」した彼は、NFLの生活を5年で捨て入隊する。

 彼は「名誉ある戦死」をし、シルバースター勲章を授与され、カーディナルスは彼の40番を永久欠番にし、ビデオなども作られた(未確認)はずである。

 昨晩のCBSドキュメント(関東圏ではTBS)で放送されたパット・ティルマンの真実は衝撃的だった。
 彼の母親が死に疑問を抱き、文書や同じ戦場にいた人たちにインタビューし、米軍からの発砲で死んだ事実を突き止める。

 米軍は再調査をし、パット・ティルマンが「同士撃ち」によって死んだ事実を公表し、家族に謝罪したという。

 さらなる調査で、射撃が9メートル以内から行われ、額に3発の銃弾が命中していることから、「謀殺」説があるという。

 その謀殺説の根拠は、彼が「正義心」で入隊したものの現地に行き反戦思想を持ち、帰国したらノーム・チョムスキーに会うことになっており、さらに大統領の再選に批判的だった、といった事情からだと言う。