少子化 プロクシミテの可能性 2006年02月22日
少子化と同時に進行しているのが「地方」の「過疎」である。
それは深刻である。
農業の大規模化、農地法、減反、鉄道・道路の発達、中央集権制、等あらゆる原因が浮かぶ。地方でギャンブル農業をするより、都市部で給与所得者になった方がいいという判断である。
行政は地方に合併を強要しさらに支配を強めようとしている。これらの問題は地方分権の問題に行き着くのである。
1968年のパリの街頭を中心として闘われた5月革命が目指したものは、中央集権社会を否定し「自主管理」を求めるものであった。
「自主管理」はフランス政府の暴虐な植民地政策に端を発し、管理社会化で疎外感を深めた人々の希求が源泉であった。分権的社会を望んだその革命が敗北に終わったとしても、その意味はけして小さくなかった。
例えば、地方辺境文化が復権し少数言語であるブルトン語、オクシタン語、カタラン語等が大学入学資格試験に採用されたことで象徴されている。これはエスペラント思想と通ずるものと言えよう。
これらのことは同化統合主義の否定であり、人間性の確認であったと思う。
また、国家など権力集団を危険視したのもパリ5月革命の一面であったと思う。その精神はひとつの国家より、ひとつのコミューンを大事にした。
5000万人の国家より、400人の村を重要視したのである。
この単位をプロクシミテと言い、フランスの基礎的な自治体のカタチである。フランスでは、個人主義とプロクシミテ(地元への密着という意味)が基本原則であり、議会、役所、学校などほとんど自主運営である。
演説する政治家より、となりの人を大切にしたのである。
人間性を確保したのである。
ものを考える単位を「個」にすることも必要である。クニがどう思うか、我々がどう思うかではなく、「私はこう思う」という単位である。
バクーニンがマルクスの「プロレタリア独裁」理論を批判し、その批判に感銘を受けてアナーキズムに目覚めた人も少なくない。そこには「個」の論理があったからだ。組織化することは権威・権力を産むことにつながるから、アナーキズムは相互扶助を眼目とし「愛」を要求するのである。
プロクシミテの可能性は日本では皆無である。
大言壮語になってきたが、「個」の確立が重要であるということである。