morning song(がらんその2:jazz) 2006年02月14日
「がらん」の音はかなり好みだ。サヒブ・シハブのカンバセーション(あるいはシハブス・ジャズ・パーティー)のフルートを聴いた時だ。これは自分でも持っている。全然違うのだ。チャーリー・パーカーを知る人が録音はパフォーマンスの何分の一でしかないというのと同意義かもしれない。
「がらん」でドン・メンツァのモーニングソングを聴いた時も衝撃だった。メンツァはビックバンドの人という認識しかなかったから余計ショックが大きかったのだと思う。
レコードを探すとオリジナルを大久保で見つけた。信じられない値段(数万円)だったが買ってしまった。家で聴いてみた。予想通り、全くダメ。罪なのは「がらん」。
Don Manza(ts),Rick Kiefer(tp),Rudi Fuesers(tb),Dick Spencer(as)
Fritz Pauer(p),Gunter Lenz(b),Pierre Favre(ds),1965,Munich
2003年にCD化された。
リクエストできないが「がらん」で聴いて欲しい。それでも尚あえてつまみ聴きするなら
1の
Cinderella’s Waltzと4のWhen Johnny Comes Marchin’Home
9日間(ドイツ映画祭の上映作品) 2006年01月23日
この作品では若者と初老の男性がキリスト教について討論をする時間が大半である。若者は神学を学んだ者で、もうひとりの男性は神父である。この二人の立場が決定的に違うのは、若者はナチス親衛隊の少尉であり、神父はダッハウの聖職者棟に収容されている反ナチ運動をした収容者、ということである。
神父は9日間の「休暇」を与えられ、ある課題を少尉から課せられる。逃亡すれば宗教者棟にいる同僚聖職者は殺されるし、家族は収容所送りになることは容易に想像がつく。彼の選択はひとつしかない。その課題を遂行することである。もしそうでなければダッハウに帰らねばならない。ダッハウに帰ることは、24時間宗教的な対決を時分としなければならないことを意味する。
若者は神学を目指したものの、宗教での世界変革の可能性に失望しより理想に近づけるナチス党に入党したと言う。そしてユダについて行動者であり変革者だと評価する。彼にはユダを評価せざるを得ない事情がある。
二人はローマ法王がヒトラーを祝福していること、教会がナチスの教会改革法に協力するべき、という2点にわたって論争を繰り広げる。
神父は数滴の水を独占したという罪悪感にさいなまれ、その中で自らの信仰の質と、それに対する行動へと対峙していく。試されているのは神父ではなく、ナチス青年であるのだ。
見る者は、国家社会主義がキリスト教義に基づいた政党であること知っているし、ユダヤ排斥にキリスト教が果たした役割も知っている。そして「神」が沈黙を常に守ることも…しかし、「神」の沈黙の中で繰り広げられる討論に救いを見出す事は出来るのであろうか?(監督フォルカー・シュレンドルフ 原題Der neunte Tag)
この作品では若者と初老の男性がキリスト教について討論をする時間が大半である。若者は神学を学んだ者で、もうひとりの男性は神父である。この二人の立場が決定的に違うのは、若者はナチス親衛隊の少尉であり、神父はダッハウの聖職者棟に収容されている反ナチ運動をした収容者、ということである。
神父は9日間の「休暇」を与えられ、ある課題を少尉から課せられる。逃亡すれば宗教者棟にいる同僚聖職者は殺されるし、家族は収容所送りになることは容易に想像がつく。彼の選択はひとつしかない。その課題を遂行することである。もしそうでなければダッハウに帰らねばならない。ダッハウに帰ることは、24時間宗教的な対決を時分としなければならないことを意味する。
若者は神学を目指したものの、宗教での世界変革の可能性に失望しより理想に近づけるナチス党に入党したと言う。そしてユダについて行動者であり変革者だと評価する。彼にはユダを評価せざるを得ない事情がある。
二人はローマ法王がヒトラーを祝福していること、教会がナチスの教会改革法に協力するべき、という2点にわたって論争を繰り広げる。
神父は数滴の水を独占したという罪悪感にさいなまれ、その中で自らの信仰の質と、それに対する行動へと対峙していく。試されているのは神父ではなく、ナチス青年であるのだ。
見る者は、国家社会主義がキリスト教義に基づいた政党であること知っているし、ユダヤ排斥にキリスト教が果たした役割も知っている。そして「神」が沈黙を常に守ることも…しかし、「神」の沈黙の中で繰り広げられる討論に救いを見出す事は出来るのであろうか?(監督フォルカー・シュレンドルフ 原題Der neunte Tag)
映画『ジェロニモ―愛と灼熱のリズム』
(ネタばれあります)
フランス映画祭上映作品。
廃工場で子どもたちが屯っている。
移民の子どもたちだと分る。アフリカ系の子どもいる。
そこに(公務員かどうか分からない)子どもを支援している女性がやってくる。彼女は彼女彼らから「ジェロニモ」と呼ばれている。けして優しい女性ではない。
彼女は言う。
「何かやることを見つけて」
子どもたちより年上の青年たちがやってくる。
兄が刑務所に入っていたりするし、彼ら自身もいわゆる不良である。
このシーンを観た時、私は2006年「シテ」と言われたパリ郊外で起きた移民二世三世の「暴動」を連想した。
アルジェリアが独立したのは1962年であるが、60年代のフランス経済が好調だったときに、旧植民地各国から組織的な移民の導入があった。彼らは工場周辺に集住した。そののちオイルショックが起き、工場の閉鎖が相次ぐ。すると、工場周辺に集住していた移民たちあるいは移民の子孫たち(二世はブール= Beurと言われる)はフランス社会から切り離される。
映画の舞台は南フランスであるからパリのシテではないのだが、殺伐として荒涼とした風景は心理的にシテを思わせる。
そこでふつの集団があることを原因に対立する。
ひとつはトルコ移民、もうひとつはロマの人々。
昨今のヨーロッパ映画で単一言語のものは少ない。この作品もフランス語とトルコ語とスペイン語と(おそらく)ロマ語が話されている。私に知識がないし、スーパーがそれに対応していないのでどの言語で話されているか分からない。
トコロ系の人は自分の妹を含めて「名誉殺人」をしようとする。
親族の老人がこう言う。
「祖父が移民で出て来た時にその風習は捨てて来たはずだ」
若い世代が旧弊を守ろうとする。
これはアイデンティティーの問題であり、移民の子孫として満足な生活ができないことからくる反射なのだ。
ジェロニモは暴力の対立を防ぎ、殺されそうな二人を助けようとする。
解決などあるのか…
ラストはやや甘い。
日本語サブタイトルに、愛と灼熱のリズムというものがついている。
実は音楽に溢れているのだ。
ロマの人々はフラメンコをやり、そこにラップがかぶる。
監督のトニー・ガトリフはアルジェリアの出身で、母親はロマ民族である。
Geronimo
監督:トニー・ガトリフ
2014年フランス
(ネタばれあります)
フランス映画祭上映作品。
廃工場で子どもたちが屯っている。
移民の子どもたちだと分る。アフリカ系の子どもいる。
そこに(公務員かどうか分からない)子どもを支援している女性がやってくる。彼女は彼女彼らから「ジェロニモ」と呼ばれている。けして優しい女性ではない。
彼女は言う。
「何かやることを見つけて」
子どもたちより年上の青年たちがやってくる。
兄が刑務所に入っていたりするし、彼ら自身もいわゆる不良である。
このシーンを観た時、私は2006年「シテ」と言われたパリ郊外で起きた移民二世三世の「暴動」を連想した。
アルジェリアが独立したのは1962年であるが、60年代のフランス経済が好調だったときに、旧植民地各国から組織的な移民の導入があった。彼らは工場周辺に集住した。そののちオイルショックが起き、工場の閉鎖が相次ぐ。すると、工場周辺に集住していた移民たちあるいは移民の子孫たち(二世はブール= Beurと言われる)はフランス社会から切り離される。
映画の舞台は南フランスであるからパリのシテではないのだが、殺伐として荒涼とした風景は心理的にシテを思わせる。
そこでふつの集団があることを原因に対立する。
ひとつはトルコ移民、もうひとつはロマの人々。
昨今のヨーロッパ映画で単一言語のものは少ない。この作品もフランス語とトルコ語とスペイン語と(おそらく)ロマ語が話されている。私に知識がないし、スーパーがそれに対応していないのでどの言語で話されているか分からない。
トコロ系の人は自分の妹を含めて「名誉殺人」をしようとする。
親族の老人がこう言う。
「祖父が移民で出て来た時にその風習は捨てて来たはずだ」
若い世代が旧弊を守ろうとする。
これはアイデンティティーの問題であり、移民の子孫として満足な生活ができないことからくる反射なのだ。
ジェロニモは暴力の対立を防ぎ、殺されそうな二人を助けようとする。
解決などあるのか…
ラストはやや甘い。
日本語サブタイトルに、愛と灼熱のリズムというものがついている。
実は音楽に溢れているのだ。
ロマの人々はフラメンコをやり、そこにラップがかぶる。
監督のトニー・ガトリフはアルジェリアの出身で、母親はロマ民族である。
Geronimo
監督:トニー・ガトリフ
2014年フランス
