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自らの文章のアーカイブと考えている

John Coltrane Offering Live at Temple University 長生きして良かったこと

 ジョン・コルトレーンは1967年7月17日に亡くなった。

 コルトレーン研究家藤岡晴洋氏が著書『ザ・ジョン・コルトレーン・リファレンス』(英文848ページ)が米ARSC(録音音源収集協会)から「2009年度ベスト・リサーチ賞」を贈られ、その記念講演が2010年5月19日からあり最終日の22日の最終講演が終わった後いつもの口癖で

「コルトレーンの未発表テープ、誰か持っている人居ませんか?」

 と場内に言うと、なんと
「持っている、ぼくが録音したものだ」
 という人が現れた。

 それは1966年の日本公演の4か月後の1966年11月11日にペンシルヴェイニア州フィラデルフィアのテンプル大学でのライブ録音で、未発表演奏であった。

 所有者は当時テンプル大学生ミシェル・ビールである。
 彼は大学の放送部でFM放送するためのオリジナル高音質テープであった。

 その演奏のメンバー12人、本人あるいは遺族から発売了承の許諾を得るのに4年かかり、それが2014年7月20日に発売になった。

 ニューヨーク大学で音楽史とジャーナリズムの教鞭をとり『ジョン・コルトレーン至上の愛の真実』の著書のあるAshley Kahn氏の21ページのブックレットがついているが、それをOver Seas(大阪本町)の寺井珠重氏が翻訳してくれた付録がついている。
 そちらには藤岡晴洋氏の解説も含まれている。これは詳細なセッションノートになっており貴重。

 この音源が正規版として発売された奇跡に酔いたい。

星陵フィルハーモニー管弦楽団 第52回演奏会

 星陵フィルは最低でも一年に一回は聞いている。
 逆に日比谷高校管弦楽団の演奏を聴く事は減っている。
 オケメンバーを見たが、もうダイレクトに知っている人はいない。間接的に知っている人が何人かいるだけだ。

 指揮は常任(?)の今井治人氏。

 一曲目はリストの『ハンガリー狂詩曲第2番』
 ハンガリーはアジア人のマジャール人が拓いた地域であるため、異国情緒がテンポやリズムに過度に組み込まれていて面白い。リストの曲想の豊かさを感じる。
 ハンガリーという国家も二重帝国に一員であったし、枢軸国でもあったという複雑な状況が曲を聴く者の胸に到来するのかもしれない。またロマ(ジプシーバイオリンなど)のイメージも湧くので、聴き手も本当に楽しめると思う。
 映画の「ハンガリアン」を見たくなる。
 本当にテンポの変転にリストの天才性を見る。

 二曲目は吹奏楽でも演奏され、コンクールでもよく聴かれる曲。
 コダーイの『ハンガリー民謡孔雀』による変奏曲。
 プログラムの解説でいくと「オスマン帝国からの解放を願う民謡に基づき、ファシストに対する抵抗の楽曲とも言われた」となっている。
 民謡の歌詞はこうである。

飛べよ孔雀、牢獄の上に
哀れな囚人たちを、解放するために
孔雀は飛んだ、牢獄の上に
だが、囚人たちは、解放されなかった
孔雀は飛んだ、牢獄の上に
哀れな囚人たちを、解放するために

 Clとoboeのデュオで始まり、後半はclとflのパッセージがあり、次にflのソロ。エンディングはtimpがとてもよかった。
 ものすごく豊かな曲想。

 最終曲はブラームスの4番。
 ブラームスはロマン派最後の人というイメージがある。
 ブラームスを最初に意識したのは、ルイ・マル監督の映画『恋人たち』である。(同監督の作品で最も好きなのは『鬼火』)
 ところが映画は曲のいい部分だけを使うから、映画の方がいいという場合も少なくない。Cl,fl,timpがよかった。Tbも今日一番の出来だった。
 第二楽章で言われる「フリギア旋法」はいつも分らない。
 
ハンガリー狂詩曲のイメージがずっと残ってしまった。

2014年7月21日 紀尾井ホール

プログラムの写真がいつもいい。OBが取ったもの。

ボクシングへの思い

 私がボクシングが好きなのは、酔うとすぐに「海ゆかば」を歌い出す自衛隊体育学校出身の会長が好きなわけでも、走らせるだけしか知らずボクサーの膝を壊してばかりいる先輩が好きなわけでもない。

 ボクシングを始めたきっかけは、本当の偶然だった。
 まず、学校を卒業してスポーツから遠ざかってしまった事。あれだけ練習が嫌いだったのに遠ざかってしまうと、なんとなく寂しくなってしまい、テニスなど始めてみたもののどうも煮え切らなかったからだ。

 次の受験まで、年上の従兄弟の所でアルバイトをしていた時に、従兄弟があるボクシングジムの「相談役」(後に相談役なる役目は余っているチケットを買わされる役割だという事を知ったが…)をやっている事を知った。  
 アルバイトを終え、そのジムに見物に行ったのが「運命的な出会い」であった。

 まず、あの雰囲気であり、匂いであり、眼差しであった。それはあまりに強烈な印象であり、その場ですぐに始めてしまった。

 中学、高校と陸上競技をやっていたし、大学ではボディコンタクトのあるチームスポーツをやっていたので、全く違和感なく入れた。しかし、それは基礎練習だけの話しである事が後に分かる。  

 それから毎晩通った。そしてジムの色々な練習生と出会ったし、プロボクサーとも出会った。そして当然のごとく後楽園ホールに通う日々になった。

 受験生であるはずなのに、朝はランニングをし、夕方アルバイトが終ると知り合いの試合がある時は後楽園ホールへ行き、無い時はジムで汗を流した。ジムが終ると近くのジムと懇意の喫茶店で勉強していた。  

 なんだか今でも夢のような生活だと思えるほど、すばらしい生活だった。

 減量をするために自分で調理するのも楽しかったし、生理学や食物に対する知識が少しあったので、他のボクサーの「生活指導」を会長から頼まれたりした。もちろん、それは私がほとんどの練習生より年上だったからだ。逆に彼らは私を「お客さん」と思っていた。

 ジムの収入にはふたつの柱があり、ひとつは練習生からの月謝(古いいい方だが、未だに月謝と言っている)、もうひとつは興業収入である。当然ある程度経験をつむとプロテストを受けプロボクサーとなるが、彼らから月謝はとれない。(あるいは特待生という言い方をする)プロボクサーの意思がない練習生が「お客さん」となるわけで、会長からもジムからも大事にされる。

 興業収入はボクシングの試合で発生する入場料収入とマネージメント収入であるが、タイトルマッチではない試合は中々お客が入らない。そこで後援している人々(その中に「相談役」がいる)にチケットを買ってもらう訳である。

 現在は禁止されているが、その当時はファイトマネーを何割か増したチケットでボクサーに支払うという事が行われていて、そのチケットは「お客さん」が買う場合が少なくなかった。当然大幅に値引きされる。  しかしボクサーの全てがチケットを売れる訳ではない。ジムの「相談役」や後援者などには会長の方から割り当てチケットが行くので、友人を頼るかジム仲間の「お客さん」に買ってもらうのである。

 突然失踪したボクサーのロッカーを開けたら、売れなかったチケットが山のように出てきたという笑えない話しもよく聞く。今は表向きは禁止されていて、ファイトマネーは現金で払わなければならないが、ジムとてひとつの事業体である。金が無い時は無い。

 また、ボクサーにも費用はかかる。マネージメント料30%、健康保険料、トランクス、シューズ、あるいは交通費ゆ宿泊費がかかるばあいすらある。そんな場合マイナスになりかねない。支払いで安心なのはマネージメント料である。これだけは天引きだから支払いの心配がない。

 問題はジムのオーナーとマネージャーが同一人物だということである。総ての権限を持っているため全く逆らえない。ジムを換わる事ですら困難である。何も知らない「子供」がボクシングを続ける限り最初に入ったジムに永遠に縛られるのである。このシステムで多くの才能が開花しなかったと言える。

 私はボクシングに関われば関わるほどマイナスの面だけが見えるようになってしまった。救いはスポーツとしてのボクシングであり、ボクサー達との交流であった。

 日本で学歴を必要としないプロスポーツはボクシングと相撲であるが、相撲には体が必要である。学歴もなく、体も小さい子ができるプロスポーツは日本ではボクシングだけと言っても過言ではないだろう。

 また、ボクシングは危険も多いためあまり裕福な者はしようとしない。裕福な者は大学でボクシングをやり、ほとんどプロにはならない。従ってボクシングジムにやってくる子供は裕福ではなく、学校となじめず、人ともうまくやっていけないタイプがほとんどである。

 地域や学校で「狂犬」といわれる子が教師や親戚に連れられてやってくる場合が多い。教師や親戚はボクシングをやらせると暴力が減ると思うのだろうが、必ずしもそうはならない。学校で粗暴な子供はけんかが好きなのだ。けんかとボクシングの大きな違いはスタートが公平であるということである。けんかの強い子供は先に暴力を振るえる「向こう見ずさ」を持っているにすぎない。

 ゴングと共に同時にスタートすると、けんか好きな子はディフェンスという概念がないから見事なぐらい打ち込まれる。けんか好きな子は殴られる事が嫌いなので止めて行ってしまう。

 ところが中に残る子が居る。最初は目つきが鋭かったのに、だんだん柔らかくなっていくので、そんな子は目でもわかる。ボクシングはとても科学的なあるいは物理学的なスポーツで、上手な人に教えられるとどんどん上達する。その楽しさに気付いた子なのだ。だから吸収も早いし、応用もうまくなる。

 すると「うまさ」が理解できてくるので、自分より上手な人を尊敬したり、その人に教えを乞うたりする。

 そこで思うのは彼がそこで「表現」を獲得したということである。今まで対等に話せる相手もいなければ、話しかけてくれる相手もいなかった。大人や教師は規制するだけで「彼の」言葉を聞いてくれない。ボクシングをすることによって初めて自分を表現する事を知るのであった。そんな子は幸せである。少なくともボクシングジムの中にいる間だけは…

 そんな「変身」を遂げ、プロになり、幾ばくかのファイトマネーが入るようになった時の嬉しそうな顔は素晴らしい。しかし怪我はつきものである。特に眼疾の場合は実に痛ましい。

 プロ、アマ問わず網膜剥離が珍しくない。視力を失う場合も少なくない。手術の前にかける言葉は全く無い。さらに家族の突き刺さるような視線に耐えなければならない。そして自問する、「この子は自分が語れたのだろうか?」と…

 私はボクシングをスポーツだとは思っていない。

 アメリカンフットボールにしろ、ラグビーフットボールにしろ、相撲にしろ、相手のダメージは突発的な負の副産物であるが、ボクシングだけが相手へのダメージを目的としている。

 どこを打ったら効果があるか、どう打ったら効果があるか…これはスポーツではないだろう。

 ただ表現できる場所がある。人生において非常にシンプルな表現形態がここにはある。ボクサーにとってリングは、たとえそれが3ラウンドであろうと、4ラウンドであろうと、12ラウンドであろうと、表現する場所なのだ。だから客なんていらない。なにかできる場所がそこにあるのだ。

 私がボクシングから遠ざかった理由は、他者の哀しみに触れるには歳をとりすぎたと実感したからである。