私の知っているスティットは面白みのない人だが、そのLPでのスティットは違っていた。
光っているのだ。そのLPの演奏が終わりジャケットを見せてもらうと、ミューズ盤なのだ。
私がスティットというとペンオブクインシーのイメージが強くて、と言うと彼は「ペンオブクインシーなんかより復帰後のミューズなどのマイナーレーベルの方がはるかに良い」と言うのだ。
「それだったらソニー・クリスと一緒ですね」と言うと「そうそう、クリスクラフトやアウトオブノーホェアね」と言った。そして「クリスの晩年のザナドゥ盤は良かったね」と言うのである。たまたまそのスティットのアルバムのピアノがバリー・ハリスで、私がハリスのプレイを評価したので、そこからの連想だったと思う。彼の言葉はまさしくサタディ・モーニングを念頭に置いている言葉で、私は深く深く同感の意思を示した。スティットもクリスもチャーリー・パーカーの幻影からいかに脱却するか、という大きすぎるテーマにまとわりつかれた人だったと思う。その脱却方法には我々の計り知れない苦労があったのだと思う。だから後期のモノがいいのだ。二人とも…
実はその時にはカウンターに二人の男性が座っていたのだが、そのお客にお構いなしに会話は続いた。彼らはジャズファンではないらしく、ポカンとした顔で私たちを交互に見ていた。そして彼は聴かせたい1枚だったスタン・ゲッツとケニー・バロンのCDを示した。そのジャケットはカウンターの上にディスプレイされていた。ゲッツの死ぬ3週間前のプレイだが壮絶なプレイをしていると言う。私はコルトレーンのアフリカンセンターでの演奏を引き合いに出した。その時点で意気投合した。
ま、こんな出遇いもある、ということなのだろうか。私はこの出遇いを良しとはしたくなかった。同病相憐れみというカンジだからだ。私はスティットが終わったところで店を出た、居ようと思ったら何時間でも居られる。現に1時間半たっていた。
外に出ると地下鉄の出口にこの店の宣伝用紙がたくさん貼ってあることを発見した。



