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自らの文章のアーカイブと考えている

ジャズの夜 大阪編 part6

 地下鉄谷町線で天満橋まで行き、そこから京阪本線に乗り換え香里園(こうりえん)へ向かった。

 香里園に向かったのはそこにある伝説的ジャズ喫茶の「ブルーライツ」に行くためである。京阪本線は昨年11月に京都丸太町のジャズ喫茶「ヤマトヤ」に行くときにも乗った電車であるが、車両のレトロさが気にいってもいた。



「京阪のる人、おけいはん」というチープなキャッチも好ましかった。



 車両に成田山のお札があるので驚いていると、香里園に成田山があることがわかった。

 香里園から京阪バスに乗り東香里病院前で降りたのだが、かなり長い時間乗っていたような気がした。そのバス通りから左に入ると完全な住宅街なのだが、その中に「ブルーライツ」はあった。稲毛の「キャンディ」も住宅街の中にあったが、ここは完全な住宅街だった。さらにブルーライツは引っ込んだところに建てられている一軒屋なので、まん前まで行かないとわからなかった。
ジャズの夜 大阪編 part5



 翌日10時半にチェックアウトし、雨の中大阪天満宮を見にいった。

 わざわざ見にいった訳ではない。
 日本で一番長い商店街である天神橋筋商店街のわきにあり、落語の「初天神」の場所だと思ったし、歩いて行ける場所にあったからである。偶然川端康成の生家という料亭を見つけた。川端康成はあまり好きな作家ではなかったが、川端の自殺について書かれた『事故の顛末』(臼井吉見著)を読んでから『伊豆の踊子』を再読し、『破戒』(島崎藤村著)との比較に感慨を深くした。被差別の「見方」として川端作品は島崎作品と違ってあきらかに内側から見ている。






 
ジャズの夜 大阪編 part4

 次に梅田駅前のホワッツニューに行きたかったのだが、すでに閉店の時間を迎えていたのでムルソーに来た。

 ここは老舗である。
 かつて『スイングジャーナル』にいつも店の広告が載っていた。
 その時からカミュの異邦人のイメージがあり店名だけで心惹かれていた。しかし現在は完全にジャズバーだった。しかし入った時にコルトレーンのスターダストがかかっていた。ここは完全にLPのみでマッキントッシュとJBLオリンパスでレコード演奏をしていた。客は私ひとり。カウンターに座った。カウンター内には実に品のいい若いバーテンダー。そのバーテンダーとジャズの話になり、ジャズファンだと言うと、彼は音量をあげた。そして名刺をくれた。その名刺で彼が資格のあるバーテンダーであることを知ったので、「ジンベースで爽やかなものを、おまかせで」とカクテルを注文した。するとロングドリンクの淡い色の本当に爽やかなカクテルが出てきた、名前をきいた。

 「ブルートレイン」だと言う。私は驚いてブルートレインはコルトレーンのブルートレイン?ときいた。彼は「関係はありません」と言い「ブルートレインかけます?」と言ったのだ。ブルートレインを飲みながらブルートレインを聴く、冥土の土産に丁度いいと思いかけてもらった。そして写真を撮った。長生きしているとごくごくたまにいいこともあるものだ。



ブールートレインとブルートレイン


 ムルソーは堂山(北区)の大歓楽街の中にあり、しかも路地を何度も曲がった非常にわかりにくい所にある。普段は客は来るのかもしれないがその晩は私ひとりだった。ムルソーにしろトップシンバルにしろあまりに親切にされた。その親切は素直に感謝するものの違和感の方が強かった。ジャズ喫茶ってそんなものではなかったはずだ。無愛想でいいのだ。こちらから聴かせていただく、というのがジャズ喫茶のポジションだったはずだ。だから聴き手も学習しようとしたのだ…誰も店と客の関係だとは思っていなかったと思う。

 消えゆく世界だからこそ親切になりすぎるのだと思う。「がらん(浅草)」のマスターもそうだし、「アリイス(渋谷)」もそうだ。本当にあるひとつの文化が潰える瞬間に同棲しているのだと思う…本当にひとつの文化が消えてゆくのだ、と思う…上野にあった「イトウ」は無愛想を演じていたと思う。

 ムルソーを出た後、まずジャズの聴こえない環境を求めた。ジャズに酔って疲れたからだ。そして、スタンドだけのラーメン屋に入り焼酎を飲みながら感慨に耽った。そんな時は演歌がいいのだ。あるジャズ喫茶ではジャズのリクエストは受け付けないのに美空ひばりのリクエストは受け付けるという店があるし、ジャズ評論のいソノてるヲは都はるみをよく聴いていた。演歌の持つ安心感が心地いいのかも知れない。大阪の見知らぬラーメン屋にいて、誰も私を知らない、私も誰も知らない。この認識が何とも言えない強大な安心感を与える…ジャズ喫茶との関係も本来はそうあるはずだったのだ…

 大阪に向かう羽田空港の出発ロビーで、忙しく行き交う航空機と人を見ながらMDウォークマンでマル・ウォルドロンのア・タッチ・オブ・ザ・ブルースを聴いていた。その時自分の存在のすべてが虚しく思えた。居なくてもいいもの、あるいは居るから面倒なものと完全に認識した。それも激しく認識した。眼前の多くの旅行客が行き交うなかで、壮絶な虚無感に苛まれていた。私の存在の無意味さを感得していた。しかし、ある種の快感があった。かなりの、何ものにも転換不能の快感があった。それは自分が結局は何の役にも立てないという確信がもたらす安心感だと思う。