映画『陽炎』
最初に任侠映画を作ったのは日活である。
しかし任侠映画の様式を作り、路線を完成させたのは東映である。
本作品は五社英雄監督が1991年に松竹で作った仁侠映画である。
私の最大の関心は主演の樋口可南子が手本引きの胴師であり、藤純子の緋牡丹お龍との比較においてであった。また脚本が高田宏治であることもとても気になった。
樋口は肥後は熊本の二本木出身で「不知火おりん」と異名をとる城島りんである。ちなみに藤は熊本は人吉の侠客の娘矢野竜(龍)子である。
時は昭和3年夏。
りんの父親は流れ者のばくち打ちで、屏風札のイカサマが見つかり娘の目の前で殺されてしまうが、殺した男の背中には不動明王の文身が入っている。ここで復讐譚であることが分かる。
その後りんは八雲という大きな料亭の夫婦に拾われ幼女となるものの、周囲の蔑みから出奔してしまい、気がつくと菩薩の文身を背負った胴師になっていたというわけ。
不動明王の文身を背負っているのは仲代達矢演じるところの「不動の常」で、一流の胴師である。
八雲の実子である一太郎が博打に溺れ、八雲を殺し屋あがりの暴力団に乗っ取られていて、それをおりんが取り戻そうとする。
おりんが引き札を稽古するシーンがあって、水を満たした木杯を右肩に載せて札を繰るのだが、なぜか裸なのである。水か少しこぼれ文身を伝うが、そこに映像美を求めたのだろうがやや不自然。
そこに唐突に仲代が入ってきて「もっと肩の力を抜け」と言う。
そこで御祭礼の花会が開かれるのだが、りんの後見の大阪の難波政組が加わり大花会となる。無論その組の親分(岡田英次)はりんの復讐と八雲の再建に協力しようと思っている。
最終的におりんと不動の常の一騎撃ちとなる。
おりんは胴が「前きり」がどうか尋ねる。すると、不動の常は「天井知らず」と答える。そこで難波政組は100万円という大金を準備する。
張札を音を立てて出すおりん。
すいちである。
かみしたを開く常。目安駒には触れない。合力が「根の二」と言う。
おりんの張札も「二」で、常はおりんの読みを褒め、負けを認める。
常にはマネージャーのような男(川谷拓三)がいて(彼は合力もやる)、負けた責任で指を詰めるがそれでは許してくれない。おりんを殺せと言われる。
そのときに、根が三回続いたのは不自然で、常がおりんの張りを読んだ片イカサマではないかと指摘する男がいる。常がいなければ胴師になっていた川地民雄である。
川谷拓三は常はそんなことをする男ではないと言う。
私がつっこみたかったのは「不動の常」なんだから不動で根が三回続いてもいいのでは?というところ。
おりんを慕う女衒を殺され、弟と弟の愛人を殺され、自分も命を狙われ討ち入りとなるが、討ち入りは喪服に素足。
しかし持つものはダイナマイトとピストル。
なんと助太刀は敵であるはずの不動の常こと仲代達矢。
その理由は「オレは惚れた」
仲代は果てるが、なんと樋口と口づけをする。
東映の仁侠映画の様式美と基本的に違うのは直接的なラブシーンがあることと、女性の裸身が出てくるところ。
気付いたこと。
合力が客に張らせるとき「さたせ」あるいは「さあ、たっせ」と言っていた。
胴はかみしたを返さない。つまり札を入れたときの状態を保って置く。つまりかみしたに入れる時の引札の向きは表を向いているということ。
仲代がなかなかかっこよく、樋口もけして無様ではなかったし、勝負のシーンは緊張感があった。
日活ロマンポルノの芹明香が出演していた。