先住民族の20年を振り返って、そしてこれから | leraのブログ

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先住民族の20年を振り返って、そしてこれから

 国連が定めた「先住民族の10年」が10年延長され、今年でその年限を終えることから表題のシンポジウムが開かれた。

 その中でニューヨークで開かれた「先住民族に関する世界会議(WCIP)」が9月23日に採択した40項目からなる成果文書についての報告がされた。
 その中のいくつかを紹介したい。

7 国会議員、法曹界、公務員を含む社会のすべてのセクター間での国連先住民族権利宣言についての認識を促進するために、先住民族との協議および協力の下で、立法、政策および行政措置を含む国家レベルでの適切な措置を講ずることを公約する。

 この文言は人種差別撤廃委員会で、教科書に先住民族を反映するようにとの日本に対しての勧告があったがそれと同等のものと思われる。

14 すべての先住民族の子どもが、彼あるいは彼女のグループのメンバーと共に、コミュニティの中で、彼あるいは彼女自身の文化を享受し、彼あるいは彼女自身の宗教を信仰および実践し、または彼あるいは彼女自身の言語を使う権利を促進することを公約する。

20 国連先住民族権利宣言に関して、先住民族の土地、領域およびその他の資源に影響するすべてのプロジェクトの承認に先立ち、自由で事前の情報に基づく合意を獲得することを目的として、先住民族自身の代表制度を通じて、当該先住民族と誠実に協議し協力するための国家による公約を承認する。

27 国連先住民族権利宣言の目的に従い、先住民族の宗教的かつ文化的な場所および彼・彼女らの儀式用具と遺骨の返還およびそのアクセスを提供することの重要性を確認および承認する。(略)

 現在問題になっているアイヌ民族の遺骨返還問題に明確な指針が示された。
 第一義的にまずは返還ありきなのだ。その最大限の努力を払う必要がある。

33 (略)先住民族に影響を与える問題に関して、関係する国連機関の会合において、先住民族代表および機関の参加を可能にする方法を検討することを公約する。

 機関ということは、先住民族政府あるいはそれを準国なみに扱うということである。
 そのことについては40において以下の文言がある。

40 (略) 先住民族の代表者の国連の参加を促進する方法と手段に関する事務局長の報告を基に先住民族の代表者と機関の参加を可能にする具体的な提案を提出するよう要求する。
(市民外交センター訳)

 懸念事項として、先住民族権利宣言30条にあった先住民族の土地の軍事利用の禁止が盛り込まれなかったこと。
 これは沖縄に直結する問題である。
 だから日本政府はウチナンチューは先住民族ではないと定義したがるのだが…

しかし人種差別撤廃委員会は2014年8月29日に沖縄の人々は先住民族だとしてその権利を保護するよう勧告する最終見解を発表した。そして日本政府が先住民族と認識していないことに懸念を表明した。(委員会の先住民族「認定」は、ユネスコが特有の民族性、歴史、文化、伝統を認めていることが根拠)
また同委員会は2010年に、沖縄への米軍基地の集中は「現代的な形の人種差別」と認定している。


蛇足ながら質疑応答のときに私がこう質問した。
「ウチナンチュが先住民族と自認している割合、あるいは年代による差異、データはないのでイメージで教えてほしい」
 国連NGO「琉球弧の先住民族会」の当真さんが応えてくれたところによると、自認している人は極めて少なく、高齢者になるとほとんどいないとのことだった。その理由は、「先住民族」というイメージに「遅れた」「未開の」「野蛮な」というものがあるからだと指摘された。

 私は沖縄県という県があるため県民としてのアイデンティティが醸成されているからではないかと思ったが…
 さらに私も先住民族とカテゴライズするより(日米2国の)被植民地民族(ヘンな単語だが)と言ったほうがしっくりする感はある。しかし収奪の観点から行くと紛れも無い先住民族だと思う。

 ところが当日の配布資料の中に「沖縄県」に関する興味深い資料があった。
 それは「琉球処分は国際法違反」というものだ。
 その根拠は「琉球国が米国、フランス、オランダなど3国と結んだ修好条約から、琉球は国際法上の主体であり、日本の一部ではなかったから」というものだ。

 さらに軍隊や警察が首里城を包囲し沖縄県設置の同意を尚泰王に迫った行為は、当時の慣習国際法が禁じた「国の代表への強制」(ウィーン条約法条約51条違反)に当たると指摘。

 その研究者の指摘に外務省は「外務省として確定的なことを述べるのは困難」と否定しなかった。

 1893年にハワイ王国を併合した米国に対し先住民族がハワイ王国が欧米諸国と結んだ条約を根拠に国際法違反を追及し、1993年に米議会とクリントン大統領は違反を認め謝罪している。