西方紀行 その4 遊戯史学会 過去ログ転載 | leraのブログ

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西方紀行 その4

遊戯史学会

 その後鶴橋から近鉄奈良線で河内小阪駅へ向かう。
本来の目的である日本遊戯史学会に参加する為である。
会場は大阪商業大学の大会議室。この会議室は実に立派で大きな円卓テーブルが二重にあり、各ブースに同時通訳用の装置も付いている。なんでも入試漏洩事件があった時、ここで記者会見をしたため会議室の立派さだけが有名になってしまった、という事であった。シックなグレイのスーツの制服を着た女性秘書二人がケーキとコーヒーをサービスしてくれる。

 年に2回開かれる学会は会員の多くが関西在住であることもあって、近磯地方で開かれる事が多い。今回のテーマは「関西の暴力団による賭博の現状」である。客演講師は大阪府警刑事課暴力班の課長で、現場からの貴重な話が聞けるのである。しかし、その性質上部外者お断り、写真撮影・録音厳禁、また他言する事も規制された。よってここでも述べる事はできない。

 話は現在の暴力団の実体と賭博の状況、それに本引き賭博(サイと手)の実際だったが、本当に貴重な話が聞けた。また、押収品の数々も見せてもらった。これだけのために東京から参加したK氏、T氏も満足のようすだった。講師は最後のしめくくりにこう言うった。  「研究熱心がこうじて賭場に入ったら困ります」

 また、遊戯史研究の先駆者増川宏一先生や花札研究やギャンブル社会学という学問を専攻している学者たち、その他同好の士が集まり午後2時から5時までの講演と5時半から7時半までの懇親会があっという間に終わってしまった。

 懇親会ではコレクターであり将棋の研究家(世界中の将棋を集めていて、最近もハワイの将棋の情報を得た、とおっしゃっていた。)であるU氏の「古物探し」の話に魅せられた。彼は関西地区の「蚤の市」を丹念にまわって研究者にも誇れるコレクションをなした訳だが、先日も「むべ山かるた」が1000円であるのを発見したと言う。ところが「売約済」の札がかかっていて、売っている人が買った人をどうしても教えてくれなかった。ただ、百人一首が好きなおばあちゃんが額装するのに買ったという事だった。彼がいくら粘ってもその「買い手」は現われず、結局「むべ山」は行方知らずになったと言う。

ところが話はそれで終わらず、あそこで明治時代の軍人将棋(本部が本丸になっているという)を500円で買ったとか、特殊な花牌の入った象牙の麻雀牌を2000円で買ったとか(花牌はだいたい20種くらいある)、大正時代の「八八道具」を1000円で買ったとか…全て素人が売りに出す「蚤の市」である。古書の出方も聞いたが、東京とは比べものにならないのだ。またまた歴史の違いを実感させられた。それだから尚更震災の被害は悔やまれるのである。

 また、ドイツから帰っできたばかりの氏にドイツのゲーム事情を聞いた。
ドイツで優秀なボードゲームが多数出されるのは、冬が寒く、テレビがつまらなく(官営放送しかない)、任天堂(テレビゲーム)がまだ普及してない、という理由だった。ドイツのボードゲームが衰退するのも時間の問題との事だった。

 九州の大牟田の三井かるた記念館から来た学芸員の人に美しいパンフレットをもらったし、松田道弘氏ともお会いできた。

 終了後U氏の自宅に誘われたのだが、そうするともう一泊せざるを得ず、いたしかたなくお断りした。

 翌日の昼には東京ゲームサークルを開けでなければならないT氏と、まだ切符を持っていないK氏と、切符をすでに持っている私とで新大阪へ向かったが、それぞれの状況が違うので結局ばらばらに帰る事になった。

 私はなんとか午後8時40分発の自由席のある最終に乗れた。

 非常にめまぐるしく、よく歩いたこの二日間はたいへん充実していた。大阪という町がそうさせたのかもしれない…私は大阪が好きである。いつでもすぐに新聞を引いて座ったらそこの風景に溶け込めそうな町であり、どこにでも歴史を感じさせるものがあるからだ。  

旅は歩くものだとしみじみ思った。
歩いたから風にあたり、空気に触れ、町に入れた。
ひょっとしたら大変賛沢な旅かもしれないが…

私は若い時にした旅を思い出した。
それは今から思えば実に貴重な「旅」だったのだ。
今回のスケジュールのつまった旅などではなく、ただ歩くための旅ができた。目的地に行くのではなく、歩くのが目的だった旅だった。それはもうできないだろう…