徴兵制賛成論
ヴェトナム戦争時、アメリカ合州国内で反戦運動が高揚したのは徴兵制が敷かれていたからだ。そのシステムは「抽選」であった。
後に有力者子弟の徴兵逃れなどが発覚するが、「抽選」はある意味「ほぼ平等」を表現していた。
その平等性とは、裕福な者も、貧しい者も、戦争で死ぬ危険性があるという平等である。
だからアフリカ系アメリカ合州国人であるモハメッド・アリが徴兵を拒否したことに対する批判は凄まじいものがあった。
大学を出たコーカソイドのキリスト教徒の青年が遥か遠いヴェトナムで死ぬのに、アフリカ系でイスラム教徒のボクサーが戦争に行かなくていいのか?という批判である。
その批判の拡大より、反戦運動の高揚の方が規模が大きかった。
理由は簡単。
ウチの息子が死ぬかもしれないという危惧と、戦争に対する疑義である。
そこから合州国軍が学んだことは徴兵制の廃止である。
戦時負担の平等性から乖離したのだ。
元々志願兵にヴォランティアーという言葉を用いているように、人々に高潔さを発揮してもらおうという発想ではない。
志願することに「特典」を与えることにしたのだ。
大学入学資格(奨学金)や社会保険番号付与や市民権などである。
その「特典」に志願兵となる人々の階層は固定化される。
貧困者だ。
全米レベルの反戦運動は起きているだろうか?
「大量破壊兵器がある」という理由で始めたイラク戦争に対する反戦運動ですら現象として捉えられない気がする。
集団的自衛権行使容認が具体化し、自衛隊だけでは人員が確保できなくなったとき、日本は徴兵制をとるだろうか?
私はとらないと思う。
反戦運動を嫌うからだ。
自衛隊入隊の「特典」が増すだろう。
だから、多くの市民が武力行使について真剣に考えざるを得ない徴兵制に賛成する。