浮名横櫛紀行(木更津、川崎、川口の旅) その1 2010.12.18-19
木更津に呼ばれた。
未知の土地に行く時、必ず早めに行って散策することが好きだ。その日も2時間以上早めに着き、散策しようと思った。
木更津駅に着いて、改札口を出たところで地図を見る。なにか目標を見出すためだ。すると「切られ与三郎の墓」という表示があった。予想もしないものに出会ったという思いだった。切られ与三と言えば歌舞伎の「与話情浮名横櫛」(よはなさけうきなのよこぐし)の与三郎に違いない。
私が好きな歌舞伎役者のひとりに片岡市蔵がいる。
やや険のある顔で、セリフが鋭い。彼が本当に嫌味があって、色悪の朋輩のような役がすごく上手い。例えば「籠釣瓶花街酔醒」(かごつるべさとのえいざめ)の釣鐘権八や、「与話情浮名横櫛」の蝙蝠安などである。是非、「盟三五大切」(かみかけてさんごたいせつ)のごろつき勘九郎など観たいのだが、市蔵の弟の亀蔵は演じている。市蔵が演じたことがあるのかどうなのか知らないが、もし演じることがあるなら是非観たい演目のひとつである。
「与話情浮名横櫛」は色悪がいて、朋輩がいて、訳あり美人がいる、というなんとも歌舞伎らしい仕掛けに満ちている。ところがその色悪である「与三郎」は、木更津で九死に一生を得て、日本橋へ戻るのである。セリフにいわく
しがねぇ恋の情けが仇(あだ)
命の綱の切れたのを
どう取り留めてか 木更津から
めぐる月日も三年(みとせ)越し
江戸の親にやぁ勘当うけ
拠所(よんどころ)なく鎌倉の
谷七郷(やつしちごう)は喰い詰めても
面(つら)に受けたる看板の
疵(きず)が勿怪(もっけ)の幸いに
切られ与三と異名を取り
押借(おしが)り強請(ゆす)りも習おうより
慣れた時代(じでえ)の源氏店(げんじだな)
その白化(しらば)けか黒塀(くろべえ)に
格子造りの囲いもの
死んだと思ったお富たぁ
お釈迦さまでも気がつくめぇ
よくまぁおぬしぁ 達者でいたなぁ
安やいこれじゃぁ一分(いちぶ)じゃぁ
帰(けぇ)られめぇじゃねぇか。
途中で省略しようと思ったが、あまりの名文句に止められなかった(笑)
つまり、木更津で刀で滅多切りにされ、簀巻きにされて海に放り投げられたのだが、奇跡的に助かり日本橋に戻るのである。だから木更津に墓があるのはどうしてもおかしいのである。
まさか「自分を殺そうとした人」がたくさんいる木更津にわざわざ殺されに戻ったとは考えにくい。ところがそれ以前に問題があることに気付くのに時間がかかったが、与三郎は実在の人物なのだろうか?
とにかく与三郎の真実を求めて足を進めた。
西口のロータリーの右側をしばらく行くと「与三郎通り」という看板が目に入った。
その路地に足を進めるが、何も無い。不自然なくらい狭い道で、小さな呑み屋が何軒かあるだけだった。少し大きめの通りにぶつかったので、引き返す。すると往きは気づかなかったが、内山洋服店というお店のウィンドに気付いた。内山洋服店は昭和10年建築という。そのウィンドに何枚かの写真と以下の説明があった。
「この通りは戦後与三郎通りと名づけられました」与三郎通りと名づけられたのがそれほど古い時代ではないことがわかった。
写真の一枚は「芸者衆の与三郎の供養墓参り」であった。そしてその墓があるところが光明寺であることがわかったし、粋筋の信仰を集めていたこともわかった。それが供養墓であることが何となく分かった。
表通りに引き返し、右に進むとその「光明寺」はあり、入口にかなり年季の入った説明板があった。そこに「縁起」が書かれていた。
「切られ与三郎は本名を大吉といい、山辺郡(山武郡)増穂村から木更津に来て島屋という紺屋で働いていた。その頃、源次という網元のおもわれものでお富と言う女がいた。ある日与三郎とお富が仲片町の料亭であいびきをしている所を源次に見られ、与三郎が斬られ、お富は行方をくらました。
その後与三郎は江戸に出て長唄の大夫になり歌舞伎の下座をつとめていた。
そのうち総身にうけた傷あとが三世瀬川如皐の目にとまり、歌舞伎の名作「与話情浮名横櫛」が生まれたという。(木更津市刊行、木更津市史より)」
その説明の真偽は別にして、「切られ与三」が実話という思いは全く無かった。
お墓は小さな祠になっていた。姿の判然としない立像で、文字なども全く読めなかった。
そうこうしている内に時間になってしまい、木更津駅に引き返した。
しばらく待つと駅に迎えのバスが来た。バスから担当の女性が降りてきて、その女性に促されて乗った。そのバスは観光バスなのだが、しばらく待っていると多くの人が乗ってくる。どうやら別のところで集まった人々のようだった。
観光バスは、信号も少なく渋滞もない道を30分近くも走り、山の頂上に巨大な施設としてある「かずさアカデミア」に着いた。どうも研修施設のような施設だった。
そこで、女性総理大臣についてのトークがあり、パネリストとして招かれたのだ。ただテーマ的にあまり関知しないのだが、折角呼んでくれたこともあり、何か言わねばと無理やり発言したらトンチンカンな内容になってしまい顰蹙をかった。
そのイベントは6時には終わった。
ところが陸の孤島のようなところなので、自分だけさっと帰る訳にはいかない。実はその日、忘年ゲーム大会が目黒であったので、是非参加したかったのだ。なぜならそこで行われるゲームは、パーティーゲームで、いつも新しい趣向があり、実に楽しいのだ。私は25年ほど参加している。
ゲームには色々なタイプがあるが、パーティーゲームは電源不要、ボードやカードのような特定の道具不要、必要なのは人間と言葉というある意味究極のゲームだ。いつでもできないからこと参加したかった。
スタッフの人たちと食事することになった。弁当や飲み物など準備してくれていた。懇談をしたり、今年夏の参院選挙のネット使用について話すことを求められたり、国際会議の方法について討議したりした。
結局マイクロバスで木更津の駅に送ってくれた時は午後10時近かった。完全に忘年ゲーム大会参加は不可能だった。それは東京方面に帰る終電車に間に合う時間、とのことだった。
私は未知の土地に行く機会があるとき、必ずジャズ喫茶の情報もチェックしていく。その情報はジャズ関連の雑誌の「ジャズ喫茶特集」などからのものだが、例のジャスラック(日本著作権協会)がレコード演奏料をジャズ喫茶に求めたため、ジャズ喫茶は激減してしまった。(その文化破壊行動については別に記している)
よってその情報はほとんど有効ではないのだが、その跡地を訪ねるという自虐的訪問もペーソスがあって好きなのだ。
木更津には「インプレッションズ」という店と「Le Jazz」という店があることが分かった。「インプレッションズ」は店名としては、コルトレーンのアルバム「インプレッションズ」があるためたいへん惹かれたが、ライヴもあるということで厳密な意味でジャズ喫茶ではないようだった。
もうひとつの「Le Jazz」は、「50年代60年代のジャズを中心に…」となっていて、まさしく希望するジャズ喫茶像がそこにあった。
データで行くと「Le Jazz」は、木更津駅東口の三井銀行の先を入るとなっている。三井銀行は、現三井住友銀行のこと。雑誌発行当時は三井だったのだろう…それだけでもこの情報にペーソスがある。
あるだろう場所に近づくと、ジャズが聴こえてきた。
しかし、予想どおり「Le Jazz」という店は無い。そのブロックを一周回ったが、「Le Jazz」という文字はどこにもなかった。そこで、ジャズの聴こえてくる元に近づいて見ると、「coffee & bar ZigZag」という店であることが分かった。店名にjazzの文字は無いものの、聴こえてくるのはバップである。そこで2階への階段を上った。すると階段を上がったところに「本日貸切」とチョークで書かれたボード。
扉のガラスから中をのぞくと、カウンターとレコードの詰まったレコード棚が見えた。想像より広い店でお客もたくさん入っている。私が入口でうろうろしていたせいか、店の中からドキっとするような美しい女性が出てきた。私が「Le Jazzを探しているのだが」というと、その女性は「ここが以前そうでした」と言う。そして、中に戻ると男性を連れてきた。その男性が言うには5、6年くらい前に今の店名に変わったが、内装は全く変わっていないとのことだった。
するとその女性が「遠くから。探して来たんですって」と助け舟を出してくれた。この助け舟は嬉しくもあったが、そうでもなかった。つまりジャズ喫茶には特定の人間関係、あるいは特定の感情を持って入りたくないからだ。
その男性は貸切が終わり片付けが終わった11時ころには入れる、と言ってくれたが、私は礼を言って階段を下りた。木更津駅に戻り、東京に帰れる最終電車の時間を確認すると11時3分だと言う。ならばその店へは行かれない。しかし、それでいいのだ。一期一会でいいのだと思った。
駅前は意外に寂しく暗く、店もあまり無い。
バス停があり、品川東口行きとなっている。京浜急行の高速バスだと言う。運賃は1300円で、JRより100円以上安い。また、時間も1時間で、JRより40分ほど早い。しかし一番私の目を引いたのはアクアラインを通るということだった。旅で無意味なことはトンネルである。トンネルが長ければ長いほど旅は寂しい。しかし物を考えるには適している。それに憧れた。コンビニでビールとウィスキーソーダを買いバス旅行と決めた。






