ジャンクフードについて
ジャンクフードを定義せずにジャンクフードについて語る。
食の国、イタリアの映画を見ていて驚いたシーンがあった。
冷凍食品の専門店が出てくるのだ。(『ぼくの瞳の光』)
そこに買い物に来る人々は老人か貧しげな人ばかり。
そして、みんな無口で無愛想。
おおげさなジェスチャーで挨拶する人などいない。
日本では感覚的に分からないが、ドイツなどでは裕福層の行くスーパーマーケットと貧困層の行くスーパーマーケットが完全に分かれていると言う。
イタリアのケースは先の映画で分かるが、他のヨーロッパ諸国や米国の場合は情報がないので何とも言えないが同様の類推はできるような気がする。
米国では手料理はステイタスである。
だから広いキッチンもステイタスである。
ネグレクト被害者の言葉に「待っていると料理が出てくるという経験をしたことがない」とあった。
なぜジャンクフードを定義しないか?
色々なジャンクフードがあり、社会的なジャンクフードもあれば、経済構造の中でのジャンクフードもあるからだ。
先のネグレクト被害者の食事は社会的なジャンクフードかもしれないし、最近の鶏肉事件や食品偽装は経済的ジャンクフードかもしれない。
私はここで敢えて定義をするならあるひとつの添加物でジャンクフードを定義したい。
ソルビン酸である。
ソルビン酸は代謝阻害剤として細菌の育成を抑えるためたいへん広範に使われている。無論ソルビン酸は人体に無害である。それは紛れもない事実である。
懸念が強いのは腸内細菌叢に対するものである。
現在、アレルギーや免疫不全に対し腸内細菌叢の質が言われ出している。
繫茂の程度、多様性、有用菌の多さ、などだ。
ジャンクフードは階層社会を映し出す。
それが単なる貧しい食事とは違うのは、資本蓄積に寄与しているからだ。直接的な言い方をすれば搾取されているのだ。しかも健康までも犠牲にしているのはあまりに残酷ではないだろうか…