+A級グルメ4 あぶらかす
あぶらかす その1
話は趙博から始まる
「君が代尽くし」で名をさらに高めた関西の巨人アーティスト趙博(チョー・バク)のその曲が収められたCD「ガーリックちんどん」(パンドラレコードSAMP-20016)のライナーノーツの巻頭言にこうある。
「過去・現在・未来……… この言葉はおもしろい どのように並びかえても その意味あいは 少しもかわることがないのだ………」
この言葉はガキデカで有名なマンガ家山上たつひこの作品「光る風」の巻頭言である。この作品は軍国主義化していく国家を巧みに表現した名作であるが、現在・過去・未来というものが実はいつでも簡単に入れ替わる事ができる、という人間の愚かさを象徴した名言である。
このライナーノーツの巻頭言に引きづられてこのCDを聴きはじめたのだが、このCDの全曲を一気に聴きとおしてしまったのは趙博の才能に負うところが大であったと思う。国民的歌手だった美空ひばりが国民的歌手であるにもかかわらず!(ここは是非強調したい)反戦歌「1本の鉛筆」を歌っていたことを知ったのもこのCDであったし(ステージでは歌ったが録音には残さなかったらしい)、ナンセンス大賞ものの「自動車ショー歌(星野哲郎作詞)」が4番まであることを知ったのもこのCDであった。
また、彼はこのCDの中で浪曲復活を訴えていて、かねてより私も同じ思いを持っていたためにこのCDの魅力が倍加したのかもしれない。私の子供期には「素人天狗道場」という人気ラジオ番組があり、一般聴取者が浪曲の喉を競っていたのである。あのNHKの「素人のど自慢」でも浪曲を唸る人は珍しくなかった、それほど浪曲が人気があり一般的な時代があったのだ。
このCDには、浪曲仕立ての「浪速津や」の一部が収められている。厳密に言えば広沢虎造風なので「関東節仕立て」と言った方がいいかもしれない。(余談になるが偶然美空ひばりも広沢虎造も神戸芸能社=山口組と関係が深い)
この「浪速津や」は彼と笑福亭伯鶴との合作シングルCD「橋・長らくご無沙汰してるけど」(パンドラレコード SAMP-09512S)でその全貌を聴くことができる。そのなかに次のようなくだりがある。
「…泥の川で産湯を使いキムチの臭いに誘われて、ニンニク食ってドテヤキ食ってニコゴリを食べてサイボシ食ってアブラカス食って大きくなりやがったぜ110キロ…」
ここであぶらかすが出てくるのである。
また、「橋」という曲では「笑い豚」(カシラというか顔)「ソーキそば」「キムチ」と食物が多く出てくる。趙博も私のように食い物にこだわっている人のようである。しかも「橋」が収められているCD「ソリマダン」(パンドラレコードSAMP-09513)のライナーノーツにはその食物の詳しい説明があるのだ。例えば 「笑い豚…特に耳は薄切りにして辛子味噌(チョジャン)や塩、酢味噌で食べる」とか「ホルモンを高級料理にしようとしている輩とは断固闘おう!その意志を鍛えるためには、芦原橋の「八光園」、桃谷の「てんぐ」に行かねばならない。」というようにである。 (尚、CD「ソリマダン」の「橋」はハングル語(ライナーノーツでは「韓国語」)歌詞のみで日本語訳詞はライナーノーツに書かれているだけである。日本語歌詞バージョンはシングルCD「橋・長らくご無沙汰してるけど」で聴くことができる。)
さらにCDケースには西つばさ氏のほのぼのとした版画「大正のホルモン屋」があり、ライナーノーツには同じく西つばさ氏の版画「だるま食堂」がある。とにかく食物に拘っていることでは類がないと思う。(西つばさ氏の版画に触れるだけでも価値のあるCDである)
趙博はCDケースに色々仕掛けをする人だが、版画「大正のホルモン屋」の下に次のような一文がはいっている。
When hear music,after it’s over,it’s gone in the air.You can never capture it again. -Eric Dolphy
1964年に36歳で客死したマルチリードジャズミュージッシャンエリック・ドルフィーが残した言葉である。彼のアルバム「ラスト・デイト」(fontana 822-226-2)の最終曲「ミス・アン」の後に実際に彼の言葉で聞く事ができる。
「音楽は聴いてしまうと中空に消え去り、再びとらえる事はできない」といった意味だが、この当然とも思える言葉がドルフィーの演奏に接すると俄然輝きを放つのである。
是非エリック・ドルフィーに触れたいのだが、あまりに話題がそれすぎるので敢えてしない。しかし、何も語らないのも不自然なので最後に付録として触れる予定である。
趙博のCDから山上たつひこ、西つばさ、エリック・ドルフィーと惹起されるイメージは広がる。そのイメージのひとつに「食い物」があるのである。
趙博の食物に対するこだわりは私と似ているものがあるが、私とは決定的に違うところがある。「月を見ていたあなた」(Garnet Rage 2ndアルバム「爛漫」に収録)などのロマンチックな曲や「夢・葬送」(「ソリマダン」収録)などのエモーショナルな曲も作れるという才である。
出会い
あぶらかすは被差別地域(以下「ムラ」と言う)の食い物である。ところがムラ特有の食物など実際に存在するのか?という問題もある。ただ単に地域特有の食物ではないのか?という疑問である。確かにその側面もあると思う。現にあぶらかすに関しては食べないムラもあるからである。
週刊「金曜日」(no.265,p32,1999年刊)で上原善広氏が
「…大きなと場が建つ南部のムラでは非常によく食べられているのだが、北部のムラではその存在自体を知らない人も少なくない…」と報告しているようにと場周辺地域の特有食物であるという言い方も確かに成立すると思う。(と場に関しては岩波新書565「ドキュメント 屠場」鎌田慧著1998年刊が詳しい)
しかし、西田英二氏が「ひょうご部落解放35号」(1989年6月)に「部落外の人に焼き菜をしてあげることがある。部落外の人も、私達の前ではおいしい、おいしいというてやけれど、ぜったい家ではしない。家ですればC地区になってしまうさかい」という言葉を紹介しているように、ムラ特有の食物は存在すると考えていいとは思う。
私があぶらかすを知ったのは趙博の「浪曲」を聴くはるか以前である。
友人たちで同好会を作るほど好きな食物に「煮込」と「もつ(ホルモン)焼き」がある。煮込探検隊と称して東京各地の隠れた名店を探したことがあるのだが、その時に言葉としての「あぶらかす」を聞いたのだ。
東京都港区六本木にある松本治一郎会館内でNGO活動している女性と食べ物の話題になり、煮込みの話をした時に「ムラにあぶらかすという食物がある」と聞いたのである。その時彼女も名称しか知らなかったため、私はテンカスかあぶらあげの類と思っていたのだが、見知らぬ食物に関心を持ついつもの性癖から調べたり、色々人に聞いたりしても全く情報が集まらなかった。そうこうしている内に興味は薄れて行った。
しばらく経ってある書籍取扱店の人と話していたときに、偶然その話になった。その店が一般的な書店ではなく人権関係の専門書店だったせいもある。その人はもちろん実物は知らないものの、「たいへんおいしい物である」ことと「テンカスやアブラアゲの類ではなく内臓料理である」ことを教えてくれた。
内臓料理とはつまり「もつ焼き」に近いはずである。しかも「たいへんおいしい」と言う。俄然興味が沸いてきたのは当然であった。しかもその人は「知っている人を紹介できるかもしれない」と言ってくれた。
彼がメールアドレスを教えてくれたので早速メイルをしてみたところ、すぐに返信メイルが来た。その人は部落解放同盟奈良県連合会の人だった。その文面はとても丁寧ではあったのだが、私に対する不審感がにじみ出ていた。それは当然というものだ。突然見ず知らずの人が地域特有の食物についてマニアックに尋いてきたからだ。
何度かメイルを交換するなかで、狭山事件再審請求について共通の知人(私にとっては先生)がある事がわかり、お互い楽になり話は進行した。
最初はあぶらかすを扱っている店を紹介してくれるということだったのだが、9月の狭山裁判中央決起集会で東京に来るのでその時に持ってきてくれるという話になった。私も偶然日本基督教団関係(ちなみに私はキリスト者ではない)で参加することになっていたので好都合だった。
その当日の日比谷野外音楽堂が私があぶらかすと初めて会う日となったのである。
あぶらかすの原料は牛の腸である。
牛の腸を輪切りにし牛脂で煎り揚げるのである。煎り揚げたばかりのものに唐辛子をかけて食べるのがおいしいらしい。また、かつては、煎り揚げているとその匂いを嗅ぎ付けた子供達が集まったという。
構造は二層構造になっている。腸壁と腸壁に付いている脂肪の二層構造なのだが、その脂肪の部分を取り去って食べる食べ方もあるという。それらは料理に使われ、うどんに入れたり、煮たり、お好み焼きのトッピングにしたり…種々の食し方がある。
私が直接いただいたのは「くろかす」である。
「あぶらかす」は「いりかす」とも「かす」とも言うが、味付け処理や形態によって三っつに分かれる。二層構造の脂肪部分を除去し、みりん・唐辛子・醤油で味付し直接食べられ、ビールのつまみなどに最適なのが「くろかす」である。煎り揚げただけのものはその形態から「まきかす」と呼ばれる。これは料理に使われる。大腸部分で繊維質というか膠質に富み硬度があり塩味がついているのが「ひもかす」である。
私に「くろかす」を持ってきてくれたのはビギナー向けという配慮からであった。
食べてみると、全く抵抗がない。香ばしくパリパリした食感で油分を感じる。ビール片手に入手するいきさつなどを家人と話しながら食べていると、皆がどんどん食べて見る間に少なくなってしまう、というものだった。
ところが例えようがない食物であることも確かだった。未知の味であった。
煮こみ
そののち、かくて全く当然のごとく「まきかす」と「ひもかす」を送ってもらった。
「まきかす」の形態を見てすぐ頭に浮かんだ料理は「煮こみ」であった。(ここで「煮こみ」について述べはじめると遠大になってしまうので、涙をノンデ省略する。)
調理するにあたり、モノ(肉のみ)でいくかポリ(野菜や豆腐などを入れる)でいくか、スープタイプ(粘度の低いだし汁)にするかソースタイプ(粘度の高いもの)にするか、ウェットタイプ(汁分が多い)にするかドライタイプにするかと考え、ポリ・ソース・ドライを選んだ。これは単に本能的カンからである。(関東圏の人のために説明すると趙博の浪曲に出てくる「ドテヤキ」は、関東で言う「煮込み」である。タイプはモノ・ソース・ドライで、これを串にさしたものである。)
野菜はゴボウにし豆腐ではなくコンニャクにした。そして「まきかす」は脂をとらないでそのまま使うことにした。小さく切るように勧められたがそうしなかった。味は味噌と砂糖と醤油と生姜でつけ、3時間ほど煮こむ。
できあがると鉢に盛り付けし、きざみねぎをかける。
「まきかす」の脂肪の部分に味付けの色がつき、プルルンといった感じで実にうまそうにできた。さっそく食べてみた。
正直言って驚いた。全然未知の味ではなく、ようく知っている味なのだ。麻布十番(東京都港区)の「あべちゃん」の煮こみとそっくりになったのだ(ちょっとおこがましいが…)。あぶらかすもおいしかったし、自家製煮込みもおいしかったが、これでは「発見」にならない。私や麻布十番周辺地域の煮込愛好者は、煎り揚げはしないものの、あぶらかすと同じ素材を「煮こみ」として日常的に食べていたのだ。これも発見だった。「あべちゃん」では「軟骨」(豚の気管)も美味で、是非塩で食したい。なぜかレモンサワーも一味違う。ホルモン(腸の部分、シロとも言う)を煮込みの素材として使う店は少なくないが、脂肪付でつかうところは少ないかもしれない。脂肪を除去した場合はモノタイプの場合が多いようである。
つぎなるステップ
お好み焼きのトッピングにすると聞いていたので、もんじゃに入れようと思ったのだ。その発想にはある大いなる野望があった。あぶらかすは関東では知る人の少ない食材である。もんじゃは関西では食べたことのある人の少ない食物である。つまり銀河系で最初の「あぶらかすもんじゃ」を食べた人類になるのでは、と思ったのだ。
ただもんじゃを作りキャベツを入れ、まきかすを小さく切って本液に投入した。
食べ初めはけして悪くはなかった。香ばしい香りが濃厚なキリイカを想像させたし、違和感も不自然さもなく驚くほどしっくりいっていた。ところが、時間が経過していくと脂肪分が溶け出してきて、鉄板が脂だらけになってしまったのである。そうなっては食べられたものではなかった。やはりお好み焼きのトッピングのように瞬間芸でなければならなかったのだ。
考えてみれば当然なのだ…固形化した脂肪が溶解するのは…
人類初の体験はおいしくなければ意味がなかったのだ。
それがたとえルサンチマンであっても、人が長い間食べてきたものがうまくない訳がない、という信念があった。「食」は文化であるので、自分の嗜好で判断すべきではない。それこそエスノセントリズムである。
あぶらかすを送っていただいた方が料理法を書いた紙をいれておいてくれて、それに素直に従って料理を作ってみる気になったのだ。テーマは「うどん」である。
かつお節でだしをとり鶏肉を用いる。「まきかす」を一口大に切って熱を通しすぎないように入れ、水菜をトッピングし、柚子の皮をちょっと浮かべて完成。水菜は関西ではよく使われる食材であろうが、関東ではそうではない。そのためかかなり高価なものである。しかし噛んだ時の「ハリハリ感」はとてもすがすがしい。
透明なおつゆのなかで、「まきかす」の脂肪が半透明になっていて、その上に水菜のあおさがあり、なかなか色的にもおいしそうである。
したごしらえにひや酒を呑んで(これがしたごしらえというのは少々疑問が残るが)、酒が終わったところで「まきかす入りうどん」を食した。
やはり識者の意見はきくべきである。淡く味わい深くたいへんうまいものだった。似た味はないし、別のものに例えようもないものだった。私は元々濃い味という先入観があったが、それが間違いだったのだ。
れっきとした、伝統に(もちろん「権威」なるものとは無縁の…)裏打ちされた+A級グルメである。
話は趙博に戻る
趙博の浪曲のなかに出てきたあぶらかす以外の「ニコゴリ」(こうごり、こんごり、こごり、とも言う)「サイボシ」もムラ、あるいはムラ周辺の食物である。その他にも「たま味噌」「ナカモン」「焼き菜」「きどふ」など多彩で多数ある。それがどんなものか知ると誰でも一度は食べてみたいと思うものばかりである。
「ニコゴリ」は牛や馬の足スジを煮て自然凝固させたもの。正月はテール(「おうね」ともいう)のものも作る。
「サイボシ」は馬、牛などの燻製肉(鹿肉もあるという)。天日干しの「干しさいぼし」と釜焼き(釜に火を入れてくぬぎの木で燻す)に分かれる。「干しさいぼし」は硬くなり、木槌でたたき火であぶって食べる。(8月の天日に干したものは何年でももつと言われている)釜焼きに限られるが、「サイボシ」はその「美味さ」で現在ではどこでも食べられている。もともと東京では馬肉を食べさせる老舗(「みの屋:東京都江東区」「中江:東京都台東区」等)が何軒かあるため、全く抵抗なく食べられている…と思う。少なくとも私の好物である。生姜醤油がいいと言うが、私はそのままで食べる。
「たま味噌」は麹を用いない味噌で大豆と水と塩だけで作り、オントレフのように乾燥させ1年以上熟成させたもの。味噌汁や鉄砲漬に用いる。
「ナカモン」(ナカノモン、ニゴとも言う)はいわゆる牛の内臓で25種類ほどある。主に関西ではホルモンと言い、関東ではモツと言っているようだ。料理としては「スキヤキ」(主にミノ)「大根鍋」(雪鍋ともいい、大根おろしを用いる)「ドテヤキ」「スシ・スノモノ」などがある。「ナカモン」に関しては15種類以上食しているので、「煮込・モツ焼き」の時に述べたいと思っている。
「焼き菜」は冬野菜(主にカブ、シャクシ菜)に塩をして焼いて食べる。単に冬野菜を用いるのではなく、焼き菜用に収穫期をずらして植えられる。霜や雪にかかった野菜は柔らかくて甘い、と言う。
「きどふ」は大豆粉を水で練り棒状に延ばし輪切りにし雑煮や味噌汁に入れる。法事などで人が集まり、酒肴の後にご飯ときどふ入り味噌汁と漬物が出て、いくらでも食べられたと言う。想像するに「すいとん」、あるいは「ちくわぶ」のようなものかもしれない。
のび・しょうじ氏は「食肉の部落史」(明石書店1998年刊)の中で「部落の食文化・食習慣を掘り起こし再構成すること、評価を加えることは畢竟するに被差別民の被差別者としての存在意義、アイデンティティーを土台に据えるということではないのか。」と書いている。(また本書はホルモンの語源の「ほうるもの=すてるもの」説を否定している)
食は人生のたいへん早い段階に接する「文化」である。また時として所属している(させられている)階層、時代、地域、人との関係を象徴することもある。特に貨幣との交換でしか食物を得にくくなり、あるいは食材を自ら調達する事の少なくなった現代という「食」の態様が激しく変化した時代では、かつての食に対しそれを記録し保存し体験するということはけして無駄な事ではないと思う。さらに、料理本などにけして記録されない「私達の食」「民衆の食」に関しての記録は意味深い。
その記録されない各地域で語られている食の豊かさは驚嘆に値し、私は羨望するとともに失ってきたものの大きさに愕然とする。グローバリゼーションの代表であるファストフード店の台頭、「食」の市場経済優先性を象徴するコンビニエンスストアの氾濫、HACCPなど新自由主義経済の産業構造の変転、グルメブームなどの商業的ファドや食についてのブランド信仰、そして魚沼産コシヒカリのようにブランド信仰を利用した「嘘」………それらの中で私達の「食」、あるいは「食体験」が奪われてしまったように思えてならない。人としての「時間」を搾取されてしまったように思えてならないのだ。
インド独立を日本で運動していたビハリ・ボース氏(東京「新宿中村屋」が1927年にカレーを始めたのは彼の指導による)とA.M.ナイル氏(東京銀座のインドレストラン「ナイル」)も「食」に縁が深い。A.M.ナイル氏はインド独立後東京の銀座にインド料理の店を(日本で最初のインド料理専門店と言われている)開き、客に料理を説明し、食生活を説明し、インドの文化を説明し、インドを日本の人々に知ってもらおうとしたと言う。(A.M.ナイル氏は満州帝国大学で教鞭をとった貴重な経歴の持ち主でもある)
辺見 庸は「噛み、しゃぶる音をたぐり、もの食う風景に分け入って、人びとと同じものを、できるだけいっしょに食べ、かつ飲むこと」と自分に課し、バングラデシュで残飯を食い、ドイツの刑務所内で食い「もの食う人びと」(共同通信社1994年刊)を書いた。残飯食は、なにも長い植民地政策に辛苦し独立戦争に疲弊したバングラデシュだけの風景ではなく、ほんの少し前の「近代化」のとば口にさしかかった日本(東京)の姿でもあったのだ。その風景は「どん底の人達」(原著は草間八十雄著玄林社1936年刊 近著は「近代下層民衆生活誌」明石書店1987年刊に収録)に詳しい。
そして辺見 庸はその本のあとがきでこう書いている。
「高邁に世界を語るのではなく、五感を頼りに「食う」という人間の絶対必要圏に潜りこんだら、いったいどんな眺望が開けてくるか。それをスケッチしたのが、この本なのだと思う。」
1969年に大菩薩峠の大量逮捕で解体的ダメージをおった赤軍の逮捕者のひとりに兵士M・Wがいた。彼は2年近い拘留から出所し、赤軍再建のために労働者の町釜ケ崎に入り、そこで労働者を対象にした食堂(ラーメン屋)を始める。
インスタントラーメンを安価で提供する店を出したのだ。
その活動の一環として悪徳手配師や暴力団と抗争し、労働者を排除し暴力団を擁護する公権力とも抗争を始める。
そして、水崎町派出所爆破事件と土田・日石・ピース缶爆弾事件の真犯人証言で再び拘留され、出所するのは10年後である。彼は再び釜ケ崎へ戻り「労働者食堂」を再開するが、今度は党派と決別しアナキストとしてであった。そこで彼は金のない者には、「つけ券」を発行し後払いで食べさせたり、食堂の労働を1時間したら100円の「労働貨幣」を発行して食べさせた。当然赤字である。赤字分は酒もタバコもやらないM・Wの日雇い労働で補ったものの3年しかもたなかった。3年ももったというべきか…
彼は1989年に挫折し「労働者食堂」を閉鎖し、ペルーに渡りそこで死ぬ。
彼が運動の中でこだわったことも結局「食」ではなかったのか?と思う。党派論理の先に見えたのが「食」であり、「食」を「生きること」の原点と見ていたのだと思う。
私はハンセン病療養所入所者、アイヌ民族、在日本外国籍の人々、オーバーステイの人々、沖縄や南の島々の人々、受刑・拘禁者、戦時下の人々、東京下町の人々…その人々が何をどういう風に、どういう思いで食べてきたかに強い関心がある。
さいごに
私の食に対する「意見」が少しは影響したのか、私にあぶらかすを届けてくれた部落解放同盟奈良県連合会がホームページに「名物料理レシピ」としてあぶらかす料理を紹介するページを作ったのだ。実際には重要な問題が山のようにあり、「食」に関して時間を割くという事ができないだろうし、「食」に関して重要性を見出すこともなかったと思うが、「食」が文化であるという私の意見が反映されたようで、少し嬉しかった。
また、世の中には頼もしい店もある。
滋賀県草津市にある「じんじん」ではアブラカス料理を客に提供している。「アブラカスのハリハリ鍋」で、アブラカスと水菜の鍋物であると思う。他にも「アブラカスのもやし炒め」「アブラカスうどん」があるし、ナカモンもミノのてんぷらや天丼がある。滋賀県はその他にもサイボシや鮒鮨も著名であるので、是非機会を作りたいと思う。(鮒鮨は高価なのでA級グルメであるが…)もちろん「じんじん」でもサイボシは食べられる。(店名の「じんじん」は水平社宣言の「人の世に熱あれ、人間に光あれ」からとったと言う)
大言壮語しすぎたのでこのコーナーは続かないかもしれない…