+A級グルメ3 もんじゃ その2 過去ログ転載 | leraのブログ

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+A級グルメ3 もんじゃ その2

いしけりへの疑問

 前回「いしけり」について述べた時に、ある人から質問がありました。「どちらの足で蹴るのか?」という質問です。つまり「けんぱ系」(特定された所に石を投げ、それをある定められた方法で取りに行くという石のスローの正確さを競う遊び)の遊びでは石を蹴らないのに「いしけり」と言うからです。

 私が説明した「いしけり」は、「地面に着いている方の足で蹴る」のです。つま先で蹴ったり、横で蹴ったり、あるいは前回にも説明しましたように石を踏むようにして場所を移動させる、という種々のテクニックがありました。

 システムを分析すると「片足で跳びながら石を蹴り、その石を目的の場所に移動させ、しかも石も足も線を踏んではいけない」という遊びになるでしょう。

 こう書いている内に思い出したことがありました。石はどこからか拾ってきて「作る」と説明しましたが、売っていた「石」もありました。それはガラス製の掌大の「おはじき」でした。本来何に使うのか分かりませんが、それは駄菓子屋で売っており、「いしけり」の「石」の代わりに使っていた事がありました。ただすべりが良くストップが効かないという欠点もあったように記憶しています。

 本来なら「もんじゃ」の話をしたいのですが、ついでですので駄菓子屋のれんじ窓から見ることが出来た遊びのなかから「めんこ」と「ベーゴマ」について述べておきたいと思います。

めんこ

 めんこに関してお話するとなると一冊の本になってしまいます。江戸時代の素焼きのめんこからはじまって、鉛めんこ、庄屋券等々…これはたいへんなことになってしまいますので、私がやっていた遊びのなかからいくつかご紹介したいと思います。

 まずめんこの事ですが、紙製で名刺よりふたまわりほど小さくしたサイズのものを「めんこ」と言っていました。それ以外に「かわりめん」と言って形が円形の「まるめん」、厚さが厚い「あつめん」、薄い紙質で写真だった「写真めん」、とありました。「まるめん」には大・中・小とあり小はロウで固められていたため「ろうめん」とも言われていたと思います。私たちはまるめんでめんこをする事はありませんでした。やってみるとわかるのですが、空気抵抗が多くやりにくいのです。ところがまるめんでめんこをやっている古い写真をよく見ますので、場所や時代によってまるめんが中心だったこともあったようです。まるめんの「小」は親指と人差し指で飛ばせる大きさで、めんこ以外の遊びに使われました。

 「あつめん」は「だし」(後述)の「親めん」に使われる事がありましたが、ほとんど使われなかったと思います。写真めんは紙質が薄いので多分めんこ用に作られたものではなかったはずです。その当時の映画俳優などの写真で作られていてブロマイドの代りだったのかもしれません。たまに年上のこどもに「月光仮面」の写真めんをもらったりしましたが、写真めんそのものに関心がなかったため、集めたりはしませんでした。

「おこし」

 さて、初歩的なめんこのゲームのひとつは「おこし」です。順番に打っていって相手のめんこを裏返しにしたら勝ちで、そのめんこを取る事ができます。裏返しにならなくとも、「さば」と言って相手のめんこの下に入っても勝ちでした。わずかに下に入ることを「ちびさば」と言い、時として判定でもめたりしました。また「とんねる」と言って相手のめんこの下を潜り抜けても勝ちでしたが、「さば」も「とんねる」もオプションルールで、始める前に決めます。「さば」はできやすいので、年下の子供がいる場合などは採用されませんでした。

 このルールは多人数でもできますし、二人でもできます。二人でする場合は「かけ」と言ってめんこを何枚か出し、負けたらそれも取られるというルールで、熱くなるギャンブルでした。(その時のめんこの出し方ですが変わった風習がありました。数えて同数出すのではなく、山にして出し上から押さえつけだいたい同じ高さにするのです)1日で菓子箱いっぱいのめんこを失ったりします。その時一番信頼のあるめんこをいつ出すかが、駆け引きでした。「一番信頼のあるめんこ」を失った時の絶望感は筆舌に尽くしがたく(おおげさですね)実に辛いものでした。

「だし」

 「だし」はろうせきなどで円を書き、その中に同じ枚数を入れ、おこさなくてもその円から出せば取れるルールでした。このルールの時に「あつめん」を親めんとして使ったりしました。

「つっけん」

 めんこを出し合い一つの山にします。その山に向けてめんこを打っていきます。はじき出されたら取れます。また、さばのように間に挟まった場合そのめんこから上にあるもの全部が取れました。これは通常の打ち方と違うので、得意、不得意がありました。

 めんこを使った遊びもいくつもありました。誰かが親になって自分のめんこを何枚か裏向きにおき山札を何個か作ります。子は自分のめんこをその山のひとつに賭けます。賭け終わると親は山札を1枚ずつめくっていきます。その山のめんこに描かれた人物の数で勝負を競うのです。乗り物は「のりもの1000人」と言って1000人分と換算されます。滅多に自動車が走っていない時代ですし、ビラを蒔くヘリコプターを追いかけた時代ですから、子供たちの乗り物に対するあこがれを感じ懐かしく思います。

 お笑い三人組やあきれたボーイズなどが出ると嬉しかったものです。

 めんこを強くする方法を教わったり、大きくなって「引退」する人に強いものをもらったり、いろいろドラマがありましたが、それらが駄菓子屋やもんじゃの周辺で起きていたのです。

ベーゴマ

 ベーゴマは高度な技術と体力が必要となるので、最も惹きつけられた遊びだったと思いますが、私の体力がつきだす年齢に「ベーゴマ」そのものが消えてしまったので、私は「ベーゴマライフ」を満喫したとは言えません。

 ベーゴマをプレイする所を「床」と言います。これは道具を言う場合もありましたし、場所を言う場合もありました。道具としての床はつけもの樽に防水シートを被せロープで結わいて作ります。子供たちの床は「でき床」でプレイヤーが集まるとできますが、大人(今から思うと自転車屋や工場の職人さん達がいましたから本当に「おとな」でした)達には「じょう(常)床」があり、夕方になるとその場所でいつもプレイされていました。また、床(場所)によってレベルの違いもあり、徐々に高いレベルの床に挑戦していくという楽しみもあったようです。

 ベーゴマが取ったり取られたりのギャンブルであり、しかもベーゴマが飛んでガラスを割ったりするので、地域の人々には疎まれていたのではないでしょうか?

 ベーゴマの原理はいたって単純です。紐でこまを回すだけです。それを床の中に入れ闘わせるのですが、はじかれて外に出たら負けです。同時に出た場合は「ばっかん」と言って引き分けです。はじかれて床の中で逆さまになると「かま」(「おかま」が語源?)と言いそれも負けになりますが、それは「かまあり」「かまなし」と最初に決めるオプションルールでした。あるいは「りき(なし)」と言って床の中で止まってしまっても負けです。

 ふたりですることもありますし、多人数ですることもありました。二、三人でする場合は「チッチのチ」と掛け声をかけ同時に「床入れ」します。それ以上ですと「オッセン」と言って順次床入れします。

 床入れの時に入らなかったら「でめどり」(「でもどり」が語源?)と言い、その回に勝った人のものになりますがオプションルールです。ベーゴマに限らず総てのギャンブルゲームに「ほんこ」「うそんき」がありました。「ほんこ」は本気の事で取ったり取られたりします。「うそんき」は「あそび」とも言い取ったり取られたりしません。ベーゴマに関しては私は幼かったので「うそんき」以外ではさせてもらえませんでした。

 金魚すくいにも「本気」と「遊び」がありましたが、今ではなくなってしまったのでしょうか?「遊び」5円、「本気」10円でした。

 技をいつくかご説明いたしましょう。

 「がっちゃん」…先に入れている相手の上に落とし、はじき出すか「かま」になることを目的としたものです。上手な人の中には自分のベーゴマを回転させないで相手の上に落とすことができました。回転していないと自分がはじき出されにくいのです。しかしすぐ止まってしまうのでかなりの自信が必要だったはずです。

 「つっけん」「ひっちゃき」…「つっけん」は相手のベーゴマの手前に入れること。その逆は「ひっちゃき」です。つっけんは「りき勝負」に自信がある時に用いられます。「ひっちゃき」ははじく事を目的にしますが、床の上端に入れ下に下りていくスピードを利用して相手のベーゴマをはじく技は見事なものでした。

 ベーゴマは改造され色々なタイプがあり、ルール別・タイプ別の戦術がそれぞれありました。高さの高いもの(タカ)、低いもの(ペチャ)、先のとがったもの(ハリケツ)、ひとつの角だけ削ったもの、上から見ると桜の花に見えるもの(サクラ)、楕円のもの、ふたつを重ねたもの(スイショウ)…等々数えきれないほどのタイプとアイデアがありました。水につけてサビをつけてから削ったり、土の中に埋めたり、秘伝の数々がありました。ベーゴマを竹の先につけて道路で削る風景は現在では滝田ゆうの漫画の中だけの光景でしょう。

 紐を巻くのを家で練習したり、強くなるために(ベーゴマやヒモを)改造したり、技を伝授してもらったり…思いでは山のようにあります。

 先月の質問コーナーに寄せられた質問は「ベーゴマの語源は何?」でした。

 ベーゴマの語源は「バイ貝こま」です。バイ貝を紐でまわして遊んだのがルーツです。バイが関東訛りで「べい」となり、バイゴマがベーゴマになった次第です。私がこの説明をした時にショックだったのは、質問者が信用しなかったことです。これは私の説ではなく、普遍的に言われていることなのです。

「日本全国児童遊戯法」大田才次郎編(1901年刊:平凡社東洋文庫122)の甲螺貝廻し(ばいまわし)の項目にこうあります。

「ばい廻しは甲螺貝(ばいがい)をむしろの上にてまわし、互いにその外にはね飛ばしあうなり。故にむしろの中央を押してくぼみあるようになし置けば、互いに触れあいて、勢い強きものは弱きを外にはじき出すなり。さればこの殻中に鉛を溶し注ぎて重量を付する等のこと行われぬ。」

 さらに「…この殻中に鉛を溶し注ぎて…」とあります。100年も前から改造が行われていたのです。数々の秘術や奥義があったはずです。

 さて、もんじゃに話を戻しましょう…

昨今のもんじゃ事情

 かつてこれほどもんじゃが普遍的になると誰が予想したでしょう。私が小さい頃もんじゃは当然有名でしたがそれは限られた地域内のことでした。他地域の人と接するようになってから「ちくわぶ」同様もんじゃもけして一般的な食べ物ではないことを知ります。少なくとも中央区、千代田区、台東区、墨田区、荒川区の駄菓子屋で私は食べた事がありますし、母も1930年代に同様の体験をしています。

 しかし残念ながら一般的に有名な食べ物ではありませんでした。  
 私にはもんじゃが今日の知名度を得た契機、時期についての記憶がありません。ただ駄菓子屋が駆逐されてから随分と経ってから知名度を得たので、もんじゃ空白期間は長かったのではないでしょうか?とにかく気がつくと有名になっていたのです。ところが有名になったもんじゃは駄菓子屋ではなく、お好み焼き屋風の店舗で食べられていたのです。ほとんどの場合お好み焼きのメニューもあります。下手(?)するとヤキソバだの鉄板焼きだのというメニューも併設しているお店すらあります。

 そこで供されているもんじゃには種類があり「なになにもんじゃ」と名打ちトッピングの妙を表現するものもあります。当然価格も高くなり1人前800円だの900円だのと言った価格が珍しくないわけです。43年前のもんじゃの5円は、サイコロキャラメルと同じ値段だったので、現在の50円くらいでしょうか?

 そして月島派のもんじゃではありませんが、食べてみると全く別物です。

 私と私の周囲のもんじゃ愛好家は、外でもんじゃを食べるということを全くしなくなってしまいました。それは外でのもんじゃが食物として失格なのではなく私達が昔から知っているもんじゃとは異質の食物という感覚です。ですから家で食べるようになってしまいました。6人ぐらい座れる鉄板が我が家にあった事もあります。その中で猫が寝ていて、知らずに火をつけあわてて飛び出てきた猫の毛が焼けていた、という彼(猫)にとっては不幸なエピソードもありました。さらにテフロンに使える樹脂製のはがしという新機軸が登場してからもっぱらテフロンの電気グリルを使うようになりました。はがしが樹脂で軟弱なので力が伝わらず心が伝わらないという歯がゆさがありますが、その程度は我慢すべき時代なのでしょう。

 けして冗談ではなく各町内に「名人」がいてホームパーティー(もんじゃにそぐわない単語ですので「寄り合い」と言い換えましょう)や無尽などがあると作ってもらったりしました。名人といわれている両国のK君や畳屋のYちゃんは実在の人物です。

 話はかなり遡ります。ただもんじゃから、キャベツとさくらえびとキリイカが入ったと説明しました。その後に入ったのは「インスタントめん」です。

「♪雨が降ってる日曜日、ぼうやどろんこどうしたの♪」で有名な明星即席ラーメンというインスタントラーメンが世間を驚かせた時、人々はあらゆる食べ方をしました。お湯をそそいで食べることはもちろん、大人はそのままをビールのおつまみに…そして駄菓子屋はもんじゃに入れたのです。オロナミンCをミルクセーキにしたりウィスキーで割ったりしたのと同じムーブメントでしょう。(ミルクセーキの「セーキ」は今で言う「シェイク」のことでしょう…多分)

 それはあっという間にもんじゃ世界に浸透していきました。乾燥したインスタントめんが本液の中で少しづつウェットになっていき、頃合を見計らってジャッ!と鉄板の上にぶちまける光景は胸躍る1シーンでもありました。しかし問題もありました。もともと味のついているインスタントラーメンのため本液が塩辛くなるのです。そこで登場したのが「ラメック」ですが、「ラメック」の登場には10年単位の時間が必要でした。

 即席ラーメンのファドが終息し、駄菓子屋が駆逐され、もんじゃが人々の記憶の中だけに残るようになった時、「ラメック」が登場したのです。これは薄味のベビースターラーメンで現代もんじゃに必須のものとなったのです。ですから「ラメック」をもんじゃに入れる事を発案した人はわかりませんし、本来「ラメック」がもんじゃに使うために開発されたかどうかも定かではありません。しかし現代では「ラメック」の無いもんじゃは考えられません。(「ラメック」の語源はラーメンスナックでしょう…多分)

 外で食べるもんじゃに「ラメック」が入っていれば少しは行ったかもしれませんが…先日新橋(東京都港区)のお店で「ベビースターラーメン入りもんじゃ」という誇らしげなメニューを見かけました。「ちがうんだなぁ」と思いました。ラメックが品切れなのでベビースター…というならわかりますが…

今後について

 その後もんじゃらしき食べ物が各地(埼玉県や神奈川県)に存在する事を知りました。しかし関東近県です。私は個人的に関西の「たこ焼き」がもんじゃの近縁であると認識しています。最近東京でもおいしいたこ焼きが食べられるようになりました。私の思うおいしいたこ焼きというのは、中身が均質でドロッとしたウェットさです。そこにソースとたこの味が加わりますが、実に伝統的駄菓子屋もんじゃと似ていると思います。それに加え魚介類をソースで食べるという状況も似ているのではないでしょうか?

 ある関西の人に「昔はたこ焼きは家で焼いたりもした」と聞きましたので、ますますもんじゃとの類似点を見出した思いがしました。

 言葉や遊びと同様に食い物も時代とともに変遷していきます。なにも伝統的駄菓子屋もんじゃが本物で後は似非だ、と言いたいのではありません。もんじゃにまつわる「遊び」も含めてただ懐かしいだけです。それにやっぱりぜったい+A級グルメです。

「あそび」について

 私は今回「あそび」について結果的にこだわることになってしまいました。そしてその「あそび」が実に大切であることも再認識しました。

 「あそび」とスポーツの違いのひとつは「ルール運用」です。

 「あそび」では低年齢の子供のために「おまめ」「おみそ」ルールがありますし、年齢やメンバーや運動能力によって毎回ルールを決める場合が少なくありません。ルールは自分たちで活用し、自分達で運用する、という空間がそこにあります。それはすばらしい事に思えます。「おまめ」「おみそ」ルールがあるからこそ年下の子供や力のない子供から搾取したりしなかったのだと思います。

 もうひとつの違いは「選択、あるいは排除」の論理です。
 ルール運用と重複しますが、「あそび」はルール運用が可能だからこそ色々な人が参加できます。また、参加できるようにルールを変更したと記憶しています。スポーツの場合は与えられた事ができるかどうかが問われ、しかも対外試合などがあるとレギュラーを選別します。これは排除の論理です。さらに運動機能に障碍があると最初から加われません。

 「あそび」とスポーツの決定的な「違い」はここにあるようです。多くの子供達と接していると(私はけして教育者ではありません。子供を集めてゲームをするのが好きなだけです。周りの人は「非教育者」と呼びますが…)その親が「あそび」とスポーツの区別ができていない事が多いことに気づきます。屋外が自動車等で危険で遊ばせられないため、野球やサッカーのチームに入れている、といったようにです。しかし彼女彼ら親の気持ちもわかります。安全な場所は少ないし、小学校高学年の遊びは公園では禁止されているものが多いし、だいたい子供がいません。路地にゴザをひいてママゴトや色水遊びをする光景はこの世から消え去った感があります。「あそび」が失われた時代になっているのです。

 しかし子供もある年になってくると「あそび」では満足できなくなって「あそび」から脱却しはじめます。そこでスポーツの楽しさを知るのです。その年齢は人それぞれ違うでしょう。「どこいき」より110メートルハードルや3000メトール障害が、ゴム段よりハイジャンプが、軍人合わせより将棋や碁が、ビーダマよりパチンコが…それらがおもしろくなる時代がやってくるのです。それは自然にやってきます。「あそび」のステージを終えているからこそその楽しさが判るのだと思います。  
 ですからスポーツは「あそび」の代替行動ではなく、自らが欲して身を投じるべきものです。(かなりおおげさ)

 もっと、もっと「あそび」をしたいと思っています。
 私はいまだに子供たちとカンケリやカクレンボやテンカトリをやっていますが、それは私が勝てるからではなく、楽しいからです。

 最近は私を父とする人(うーん、なんか難解な表現ですね)が子供たちを集めてゲームをやっています。上は中学生から下は幼稚園児までです。その子供たちの未知なる「あそび」に接した時の本当に楽しそうな表情を見ると大切にしたいと思います。ゲームをした後におやつでもんじゃを食べるのですが、ゲームの感想戦をしながらハガシを操る光景は私の貴重な財産となっています。

 ここにはけして失ってはいけなかった時代の痕跡があるようです。(つまり失ってしまったということ…)