ウトロ 家族の街、たらちね 原一男 cinema塾 塾生作品
ウトロの現実は実はどこにでもあり、当事者ではない多くの者が視線を避けていた問題である。視線を避けていた故に昨今では減少してしまった「事象」かもしれない。
それは徴用労働者の問題であり、植民地問題であり、被差別部落の問題であり、創られた貧者の問題である。そして彼らは常に「移転」を強いられる。その移転は時として物理的力を持つ「排除」であり、時として天災後の放置であったり、開発という名の「利益供与」であったりする。北陸の原発設置場所の多くが第一次産業から排除された非人系の部落であったことを喝破したのは本田豊であったと思う。
ウトロは飛行場建設に従事した朝鮮人徴用労働者の飯場が残ったもので、その期間は60年になんなんとする。ウトロも元々は宇土口という地名がカタカナでウトロになったこともそれを象徴している。時効取得も居住権も認められず裁判で敗訴し、強制執行を待つだけだと言う。水道が通ったのがたったの12年前。
この現実の前で我々は立場をあきらかにすることを迫られる。そして我々のすぐ近くに現実としてあった「別のウトロ」問題も想起される。芝浦は東京芝浦電器の徴用工の生活地で、戦後枝川に移転させられた。鉄道の出口が芝浦側に開かれたのはその後である。
後楽園遊園地はかつて軍の被服敞のあったところでその周りに「小屋がけ」していた労働者が多数いた。彼らは今ではどこへ行ったのかわからない。
戦争がいかに差別的であるか、という認識が不可欠となる。それはなにも朝鮮半島や中国からの労働者ばかりではなく、冷害で娘を売った東北地方の農民や経済格差を利用されて心身を売買の対象とされた「娘」、満蒙開拓団で満州に渡った貧しい農民達小作農達、九州の炭鉱で低賃金の労働に従事した与論島の人々、沖縄の島々で日本軍に虐殺された多くの島民…そして兵士達。
このテーマは原一男の「ゆきゆきて神軍」に通底するテーマである。あの映画では戦地での人肉食があきらかにされる。
よく「戦後」は終わっていないというもの言いがあるが、それは差別に終わりがないことと同意義である。
「たらちね」は石川一雄の現在を追ったものである。
街で一枚のチラシを受け取り「冤罪」「部落差別」を知り、驚愕し、映画製作に結びつけた若い人のエネルギーに感服する。問題との接点がごく初期であるにすぎないので掘り下げの浅さはいかんともしがたいが、この若い人達の熱意を無為にしてはならないと思う。さらなる接触を続け次回作に大いな期待をしたいと思う。どちらにしろ彼ら(スタッフ)は一生「冤罪」と「差別」からは逃げられない。それは幸暁である。
さいごに
ドキュメンタリー映画の存在価値は「常に問われるところにある」と思っている。
学校内での銃乱射事件を追いアメリカの銃社会と銃産業社会の実態を暴露し映画賞(アカデミー賞)を獲た映画監督マイケル・ムーアはその賞の授賞式のスピーチで、不当な戦争(イラク戦争)を始めたブッシュアメリカ大統領にこう言い注目を浴びた。
…Mr. Bush. Shame on you…ブッシュよ恥を知れ
しかしそのスピーチの中でこうも言っていた。
…We like nonfiction and we live in fictitions times…
「私達はノンフィクション製作者なのに、フィクションすぎる時代に生きている」
この言葉はドキュメンタリー作品に対する大きな啓示だと思う。
架空のオペラの時代こそ、その「架空」という幻想を打ち破る使命がドキュメンタリーにはあるのだ…