心をひらいて 原一男 cinema塾 塾生作品 過去ログ転載 | leraのブログ

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心をひらいて 原一男 cinema塾 塾生作品

 原一男について、あるいは「ゆきゆきて神軍」については、いつかどこかで語らねばならないと思っていた。

 世の中に「すごい」と形容できる映画があるとするなら、あの映画以外に私は知らない。逆に「すごい」の一言に集約されてしまうかもしれない。しかし、映画の持つ記録性や映像の持つ「力」を実証した功績も私にとっては大きなものだった。

 その原一男が人材育成を目的に開いたのがcinema塾で、その塾生達の作品を公開するのが今回の企画であった。そして、そのテーマは家族であり、そのテーマで若い人達がどのようなドキュメンタリー作品を作ったのかは実に興味があった。(「家族」というテーマがイタリア映画祭2003と同じだったことはある時代性を物語っていたのかもしれない)

心をひらいて

 ドキュメンタリー映画では、映画製作そのものが映画であると思うのは、製作の途中で事件がおこり、それが時として作品の当初の目論見を根底から覆してしまう場合があるからである。もちろん多くの挫折したドキュメンタリー映画があったし、永遠に未完成の作品も少なくないと思う。その事件がスリルを表出し、人が生きていくことがスリルであることを代弁していることに気づくのであるが、故にドキュメンタリーが最も劇的(フィクショナル)である、というもの言いも説得力を持つのである。

 「心を開いて」の中での事件はあまりに劇的であったと言えよう。ひきこもりの青年がスタッフの女性に「好意」を寄せるのである。「恋」ではない。作品内の表現、本人の表現を用いるとしても「好意」というコトバが最も相応しい。

 共同生活をしている青年の自死と、その青年の「好意」が、彼が言う「生きがいを見つけたい」というコトバの周りで迷走する。

 その「好意」は彼の心を開くのか?彼は心を開いたのか?それは分からない。少なくとも彼女がそのスタッフの女性に自分自身の歴史について語ったのは事実である。