ぼくの瞳の光 Luce dei miei occhi 2003.5
失えないもの…
ピッチョーニの描くメインの人物たちは常に優しい。その優しさは、人を好きになったことから生じていることを示す。そして、この感情は全く制御できないことも示してくれる。
女は女手ひとつで娘を育てる小商店主で、種々の支払いに辛苦している。その女に惹かれる若い運転手。女は他者に好かれることを許容しない。それが自分の借金や生活苦や娘へ対する愛情に無関係だと思っているからだ。
しかし青年はそれを許さない。愛が代償を求めぬことをあたかも証明するような行為に出る。その行動が結果的に弱者(外国人労働者)から搾取することになることに、その作品に関わった人々、観客を含めた多くの人が胸を痛める。その青年の無私的行為に影をさすことに胸を痛めるのだ…
「人」を愛する青年は当然のなりゆきどおり、その搾取的な行為と訣別し、全てを失う。女も養育権争いで負け唯一の希望である娘を失う。
彼女は、娘との面会の日に、その青年に車を出してもらうことを依頼する。ラストシーンは後部座席に娘が座っている。
私たちは何のために生きるのか、何のために生きようとするのか、という解決不能でいながら原初的であり普遍的であるテーマを何度も何度も反芻さねばならないのかも知れない。
大切なもの、大事なもの、それが実は自分ではないことを確認するのだ。その確認は美しくそしてすさまじい…また恐れを放逐できるときだ…
人は自分から相手へ、相手から他へ、と感情の対象を時間的に変えてゆく。それは誰にも止められない。
幼児期は「自」、つまり「自分」の幸福を追求する。青年期は相手の幸福を志向する。成人期は自分以外の幸福を追求する。その時間的な流れは千差万別であり、さらに逆行する場合ですらある。人間は弱いのだ…人間はひどく弱い生き物なのだ…しかし、唯一強くなれるときがある。それは無私になる時だ…
ピッチョーニの描くその優しい青年はその強さを体現している。その強さの前には誰も抗うことができない。
愛は強いのだ…
愛は強いのだ…
赤面せずに「愛」という単語を言ってみよう…別の世界が拡がることがある。誰もが押し殺していた真情を露吐できる数少ない瞬間でもあるのだ。正直に生きれば生き易い事を知っていながら、正直に生きることに多大な勇気が必要なことを悟る大変惨酷な時でもある。
寂しく夕食をファストフード店で青年が食べている時、その女と娘がやってくる。彼はそのテーブルに寄り同席したいと言う。あの強さ、あの強さは実に美しい。あの強さは実に美しい。あの美しさを否定できるものはこの世にない。
その店の帰り、彼女が走らせるバイクに青年の車が近づきしばらく伴走する。彼と彼女と彼女の娘の三人の表情が和む。その和みも実に美しい。
求めるモノが搾取を対象としていないことの美しさだろうし、人の心が伝ってくることの温かさだったと思う。夜のローマの道路に人々の温かさが伝わるシーンだった。それはピッチョーニの優しさに他ならない。
使い古されているとは思うが、優しさは美しいのだ。人の心の優しさに勝るものはないのだ…優しさを持ちたい、全人格的な、無私的な、真情的な、虚飾を伴わない優しさを持ちたい。
この作品のラストシーンにそれを見た。
2001年120分
監督・脚本 ジュゼッペ・ピッチョーニ
脚本 ウンベルト・コンタレッロ、リンダ・フェッリ
撮影監督 アルナルド・カティナーリ
音楽 ルドヴィゴ・エイナウディ
出演 サンドラ・チェッカレッリ、ルイジ・ロ・カーショ
追伸2014.8.8 本作品はDVD化された

