劇団ダダン ばんゆーいんりょく 過去ログ転載 | leraのブログ

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ばんゆーいんりょく 2009.10

妖精の恋

劇団ダダン 2009年度本公演

 人々の名前が形骸化するほどの関係性の空虚な時代に棲息している。また場所は、群れるところでありながら、結局は人との関係が不確かでよく分からない。それは、自分ですらわからないからだ。

 群れる人々がもつ共通言語は「フツー」である。「フツー」であり、「フツー」にし、「フツー」の人と見られることで関係性を維持できる。「フツー」を身にまとうことが保身になり、それのみが関係性を維持するツールに見える。しかし人間関係に「フツー」などない。

 妖精になるべく妖精見習が登場する。

 こんなことは現実にはありえない。ところが妖精見習に出会った青年は、日常の現実感を感じる。独り暮しの部屋に帰ってくると、(待っていてくれる?)人がいる、という他者存在によって自己存在が証明される古典的システムによってである。

 女は好かれることにより、あるいは「好きだ」と言われることで自分が居ると感得できる。青年にとってその女はけして幸せではない。それは彼がその女を好きになったから発現する心情ではなく、普遍的な心情としてである。普遍的心情ほどやっかいなものはない。特に関係性が希薄な時代と空間ではなおさらである。それならよっぽど恋愛感情の方が御しやすい。なぜならそれは自分独りで完結できるからである。

 また、女は痛みで日常性を実感する。痛むことが求めるものを得る代償行為だからだ。あるいは、ようやくつかみかけてきた自分から遠ざかりたくないという気持である。

 妖精は、見習いであるが故に彼らの群れに入りこむ。

 これは迷い込んだのかもしれない。そこで妖精見習いは自分が担当している以外の人と会う。彼はそこで人が営む「恋愛」という心情に直接的に晒される。はっきりはわからない。彼は恋をする。

 彼の目的は見習いから卒業するために、人に希望をひとつ叶えることだと言う。

 ところがその段階で妖精見習いは力を失っている。彼は闇の中で「力が…」と絶句する。

 青年は妖精見習いの計らいで力が得られなかったと思う。力が得られなかったからこそ、恋という心情を伝えられる。そして関係性をも獲得する。それは自己完結的な恋愛感情とも違うし、発情でもない。普遍的心情による関係性の構築である。

 妖精見習いが力を失っていたからこそ、青年に力を与えられなかった。妖精見習の恋。

 妖精見習いは妖精となり、羽根を得る。
 彼は課題が成就したからこそ羽根を得たのだ。しかし成功したかどうかは分からない。そして、羽根を得た妖精は寂しげな後姿を見せる。その妖精の哀しみだけが舞台に残る。そして彼だけがばんゆーいんりょくで引きつけられなかった対象であることを知る。

 ならば、他の人間たちはばんゆーいんりょくで何に引きつけられたのか?

* * * 本がたいへんよく書かれている。見習いの被り物のアイデアや白樺会の性格の描写なども秀逸。照明も色彩とタイミングで舞台に呼応していたし、音響も「見習いの歌」を背後で流すなど努力が伝わってきて気持がよかった。(見習いはウクことを使命としているので)見習い以外のキャスト全員が実によくハマっていた。残念ながら苦言が見つからないほど完成度の高い舞台だと思う。あえていうならDV男の服装はフツーの学生っぽいもののほうが凄みが増すと思った。

劇団ダダン 2009年度本公演
演出:井上良
脚本:池津美香子
舞台監督:和泉淳、宮本康平
舞台美術:二藤薫
照明:あんとん、泉元知香、真野瑞、安藤絢子、須藤慎太郎
音響:高橋舞子
小道具:面゛
衣装:タリ
宣伝美術:小西佳那子
制作:伊田優志
2009.10