海盗り・不知火海 過去ログ転載 | leraのブログ

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海盗り - 下北半島・浜関根

 土本典昭の監督術の特徴はとことん話しを聞くということだ。

 もちろん撮りたいテーマがあるにしても、そのテーマに関わる人々に丹念に話しを聞く。その話しは必ずしも「撮りたい」テーマに直結しているとは限らない。だから観客は漁の方法について詳しくなったり、ある人の生活方法に詳しくなったりする。当初わたしは録音状態が必ずしもよくないこともあり、その丹念な話しの聞き方に少々苛立った。しかし、いつしかそれを聞くことにより、「その人の側」に立っている自分がいることを確認せざるをえなかった。

 語りを聞くことはドキュメンタリーの本筋であろうし、リアリズムの基本であるだろう。土本は話しを聞くことにより、長い歴史の中での「土俗」を表現していったのだと思う。

 ドキュメンタリー監督の小川紳介は映画におけるリアリズムに関して壮絶な意見を言っている。

「ベルナルド・ベルトリッチの「1900年」、エルマンノ・オルミ「木靴の木」には蚕が繭になる場面があり、実際に繭を作る前の体が透き通り周辺が赤茶けた蚕を使っていた。それはスタッフの中に知っている人がいるということ。「楢山節考」(今村昌平)は米も獲れない村の話。ところが出てくる稲は反当り8、9俵とれる稲。さらに現代の稲。役者がそれを引き抜こうとするがなかなか抜けない。つまり根はしっかりしている訳でそれは土がいいということ。貧しい故に殺人がおこるという話しの基本的な背景がまるきり信じられなくなってしまう」(小川は今村を尊敬しており監督批判ではない)

 小川紳介によればある農地を作るには400年以上の歴史がかかると言う。例えば土本は下北の漁労の歴史を話しを聞くことによりあきらかにしようと思ったのかもしれない。

 成田闘争ではその少なくとも400年以上の歴史を経た農地・土壌がある意思決定で破壊されてしまう無惨を感じたのであろうし、下北の漁労に関しても同じ視点を据えたのだと思う。

 しかし、その土俗が貨幣経済の渦に飲み込まれてゆく「無惨」も見事に捕らえられていると言えるだろう。

 漁師がこう言う

「われわれは海があれば喰っていける」

「金が入ったとしても、それはしょせん金」

データ

海盗り - 下北半島・浜関根

製作=青林舎 

103分 カラー 16ミリ

製作 山上徹二郎 松橋寅蔵 海の会

監督 土本典昭

助監督 福田孝

撮影 清水良雄 樋口司朗


不知火海
 「水俣」この言葉は現在では単なる地名ではない。多くの怨念を含んでいる。

 今回私は日本窒素(チッソの前身)の殖民政策を初めて知った。日本窒素は軍部に接近し、併合した朝鮮半島に工場を建設する。この用地買収は巡査が立会い二束三文で行われた。さらに現地の少女を酷使した。それにより資本蓄積したという。ニホンの大企業の多くと同じプロローグを持っていたのだ。

 水俣で硫安(硫化アンモニウム)の製造を開始し大きな収益をあげて行く。そして広範で悲惨な有機水銀中毒を引き起こす。さらにそれを認めなかったため被害を拡大させた。土本はそれを訴えようとしない。それは完全に前提になっているだけだ。

 彼は被害者を丹念に追って行く。

 行政の対応ができていない胎児性被害者の日常生活の中に入る。彼らと語る。そこにはチッソの名は出てこない。被害者が語る「辛さ」が伝わってくる。それは観る者にとって新鮮な経験となるかもしれない。被害者の一人はこう言う。「大人扱いをしてほしい」

 次に対岸の五所浦の島々を回り被害者と接する。そして医療機関の不備を指摘しつつ、未申請者の問題へと入っていく。未認定ではない、未申請である。

 頭髪の水銀濃度が高い人のところへ行くのだが、未申請なのである。その未申請の背景を探っていく。

 離島には公立の診療所がひとつしかなく、そこに常勤している医師に「水俣病」の知識は全くない。そして未申請被害者は、水銀濃度を調べられただけで放置されている者や、周辺の偏見からあるいは企業城下町の風土から申請できずにいる場合である。

 診療所の貧弱さや、未申請の問題は、水俣病被害者の置き去りの現実を見せる。本当に視線が向けられねばならないところはどこなのか?を問う

 何百年という歴史の中で形成されてきた「土俗」が近代の貨幣経済の中で破壊されていく図をここでも見ることになる。

 天皇制軍事国家の中で搾取しかしてこなかった国家依存企業の本質も見せることとなる。それは朝鮮半島の被殖民者も日本国内の人々も全く同じであることを悟らせる。その後公害企業は規制のゆるい地域(国)に工場を求め、さらに被害者を拡大することになる…

 貨幣経済への隷属の歴史が近現代の歴史であることを認識かねにはあまりに被害が大きい。それは多くの未来を語っていることに気付かねばならない。

データ

製作 青林舎 1975年 

1,678m 153分 カラー 16ミリ

製作 高木隆太郎

演出 土本典昭

演出助手 小池征人 有馬澄雄 一之瀬正史

撮影 大津幸四郎

撮影助手 一之瀬正史

音楽 小栗孝之 松村禎三

録音 浅沼幸一

録音助手 宮下雅則

編集 土本典昭 市原啓子

ナレーション 伊藤惣一

2003.8.22