子ども格差 | leraのブログ

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子ども格差 2008年05月14日

今週号の週刊東洋経済の特集は「子ども格差」である。

 「セーフティネットの崩壊とともに教育の崩壊が始まっている」と私たちが主張しだしたのは2002年頃である。経済格差が子どもの教育格差を生み、それは希望格差、可能性の否定に繋がり社会不安と社会としての機能不全を惹起させると考えた。

 しかし、社会はそれに対応しなかったし、逆に「健全」な競走社会を善とした。

 中曽根内閣時の臨教審は財界の意向に沿うように教育改革をし、そして資本の側が人材としての子どもを早期に選ぶ自由を獲得した。
 それは新自由主義政策の中で、人間には生まれながらに能力に差異があり教育に無駄な金を使うなという論理で、公立学校批判とともに登場した。その萌芽は1996年の橋本内閣下の行政改革の規制緩和で推進され「学力も個性」「能力も個性」「学校差も個性」(佐藤学氏の批判的表現)というスローガンになっていく。

 公立学校批判は新自由主義改革を人々に受け入れ安くする効果があり、それは教育の市場化に繋がり、低階層の子どもの教育を平等に受ける権利が奪われる結果となった。

 東洋経済の特集では、経済力が教育や進学率に反映しているようすや、世代を超えて継承される貧困などがデータとして表現されていて、壮絶の一言に尽きる。

 私は経済誌というものを懐疑的に見ている。それは常に資本の理論に寄り添ってきたからだ。この特集はそれから離れたのか、あるいはとうとう危機感を感じたのか、のどちらかであろう。その危機感も個人消費の落込みていどのものだと思うが。

 新自由主義経済の中で「小さな政府」を志向し、自己責任を強調してきた結果がこれである。
 セーフティネットの崩壊と貧困率の増大。希望格差の社会となってしまったのだ。11日のNHK番組「社会保障があぶない」の中で金子勝氏(慶応大学)は「小さな政府、市場中心主義が景気を昂揚させると言ってきた。では大きな政府で手厚い社会保障で経済成長しているヨーロッパをどう説明するのか」と言っていた。

 デンマークなどは税金は50パーセントであるが、かつて税金が高いと労働意欲を失うという論理があった。セーフティネットが拡充していれば税金の高負担に反発が少ないと言う。

 日本の義務教育は中学までである。中学を卒業してすぐ仕事に就けるだろうか?できない。社会も財界も対応していない。義務教育年限に問題があるし、若者に職業を与えるという社会機構になっていない。これだけでも不完全な、破綻した国なのだ。

 脅迫資本主義の中で、子どもや教育や学校を利潤追求の恰好の猟場にしてきたツケなのだ。モラルも倫理観もない。学問より受験勉強を尊ぶ愚かな国なのだ。挙句の果てに公立学校現場で進学塾が料金をとって受験勉強を指導する時代になった。

 日本の場合は私学の多さが特異的だが、私学が少子化に対する危機感から資本主義化を推し進め、その資本主義化は脅迫と差別感を資本としたブランド化で教育とは大きく乖離した。また、私学助成金から政府の配下として跪く姿は醜いとしかいいようがない。

 イギリスは1999年に「子どもの貧困撲滅宣言」をし、社会保障、労働、教育の分野で総力戦を展開した。2004年には70万人の減少が見られた。日本では対策はとられていない。というよりも気づいていないのかもしれない。

 この雑誌の特集を見るとすでに手遅れだと思える。
 経団連会長の企業が二重派遣や擬装派遣をし、法人税の軽減と累進課税反対の立場をとっているのだから…

 しかし、どうしてこんなワイルドな社会になってしまったのだろう…

 高等学校までの義務教育化、職業訓練校の拡充、国公立学校の全入制、高等教育の無償化、これらが実行される日はないだろう。子どもを愛さない国だから…