風 過去ログ転載 | leraのブログ

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風 2008年04月11日

小沢昭一は「シャボン玉の歌」を歌うとき、「風風吹くな」のところで拳に力を込めると言う。
 それは、悲惨な戦争を忘れないため、そして戦争に向かう「風」が「また」吹くことのないように、という願いを込めてである。

 私にはそのシャボン玉は「言論」に見える。

 ある都立高校の教師が、来賓として招かれた前任校の卒業式で「色々な強制のもとであっても、自分で判断し、行動できる力を磨いてほしい」と発言した。
 その発言が東京都教育委員会から「指導対象」になり、精神的苦痛を受けたとして損害賠償請求裁判で、東京地裁は賠償を認めなかった。

 その判決文で「色々な強制」という言葉について「生徒に国旗・国歌に対し個々の判断に委ねられる旨を述べるものではないかとの疑義が生じる」と、またまた想像をたくましくした事を書いた。

 その判決は言論を抑圧する効果があるだろう。シャボン玉を壊していくだろう。

 横浜事件の上告審判決文のように「(被告が求めていない刑事補償について述べるといった)余計なことを書く」ことや、恵庭冤罪事件のように「可能性」だけで有罪にしたり、新潮45名誉毀損事件のように「将来増刷する可能性は低く」と勝手な想像をすることが流行っていて、それは裁判所の劣化を物語っている。

 最近出版された「最高裁が法を犯している!」(井上薫著 洋泉社新書)にはもっとすごいことが書かれている。