哲学書と書道 精神現象学が出た 過去ログ転載 | leraのブログ

leraのブログ

自らの文章のアーカイブと考えている

哲学書と書道 精神現象学が出た 2007年12月14日



 「哲学書」(けして「哲学」ではない)は書道に似ていると思う。

 書道の凄さは「読めないのに美しい」と感じるからである。これはキュービズムよりもアブストラクトよりも凄いことかもしれない。なぜなら「文字」は具体的、具象的なコミュニケーションツールだからだ。

 なぜ「哲学書」(特にカント、ヘーゲル)もそうなのか?
 読むと読める、逆に読み出したら止まらない、しかし理解不能。

 竹田青嗣はその解法としてこう言った。
「翻訳がわるい」
 今年の初めに彼は、ちゃんとした訳でヘーゲルの「精神現象学」を年内に出す、と宣言していた。それが12月10日に出た。(西研との共著)

 さっそく買って貪るように読んだ。今まで2度挫折している。少なくとも書道的な美しさは増している。3度目の挫折の予感はある。

 しかし、竹田青嗣の巻頭言と西研の巻末言は出色である。

 竹田はヘーゲルに持っていた「負の評価」が解読と共に逆転したと言い「近代実証主義の素朴客観主義や、マルクス主義の決定論や、分析哲学およびポスト・モダニズム思想の方法的相対主義の限界に対する、最も本質的な批判となっている」と驚いている。

 西はヘーゲルが「自由を基盤とした社会を構想した」とし、「ここ(精神現象学)には、近代の自由の行き着く先に、広義・狭義の表現の営みが豊かに展開される社会が生まれるというヴィジョンが読み取れる」と言う。

 そして、「日本の社会を生きる私たちは「不干渉の自由」を得てきた。しかしそこにとどまらず、さまざまな仕方で互いに関わり合い共振しあうような、そういう生の次元をつくりだすこと。そういうあり方のなかに真の自由をヘーゲルは見ていたと思う」と言う。

この言辞には説得力がある。

 これをマニアのバイブルにしてしまうにはあまりに惜しい…

講談社メチエ402