
Jazz 人はページをめくるために生きていく? 2007年12月12日
Tournez La Pageを訪ねて

ある美術評論家が絵画の存在意義を「魂の救済」と言っていた。ゴッホの風景画には人を癒す力があると…音の良さもそうかもしれない と思いたい。
しかし、オーディオについては金持ちの自己顕示欲、あるいは自らの想像力の欠如を金で補うもの、と批判される。それは一理ある。音 に拘泥し「音楽」を聴かないオーディオファンがいることは紛れもない事実だ。
絵画は描いた画家とその作品を観る現代の人は、経年変化があるとしてもほぼ同じ色彩を見ている。特に油絵はそうだ。活字化された文 学にいたっては、ほとんど同じ物(?)を見ている。しかし音は違う。プレイヤーが耳にしていた音と同じ音を聴くことは絶対にできない のだ。それに近づいたと錯覚することができるのは「良い音」を聴いた時だ。そこでは死者が蘇る。まさしく死者が動き出すのだ。その錯 覚に大いなる価値があるのだ。
話の発端はjagaの例会でM氏に「浜松にアバンギャルドがある」という話を聞いたことだ。その時は具体的な場所も、店の名前も分らな かった。しかしアバンギャルドという言葉のショックは大きく、私の予想通りインターネットですぐその店は分った。なんと言ってもアバ ンギャルドなのである。
2007年11月9日に静岡に行く用事ができた。その用事ができた瞬間から浜松行きが決まっていた。あるいは浜松にアバンギャルドがあるから静 岡行きを決めたのだと思う。
新幹線で浜松へ行った。初めて降りる駅である。遠州鉄道のある方へ降りると、新しい街が現出した。すべてが新しく、すべてが近代的 な街なのである。再開発のように旧態を改変したものではなく、全く新しいところに街を作ったように見えた。
その店はすぐに分った。
Tournez La Pageという店名で、フランス語でページをめくると言った意味のようだ。紅茶珈琲専門店とある。新しいビルの1階にある新 しい店だ。ドアを開けて入ると応接室のようなソファがあり違和感を感じたのだが、そのソファの背後の本棚にはジャズに関する洋書が並 んでいて安心した。不安の理由は店内が明るいからだ。
そのソファを通りこすと右手に厨房があり、左手にターンテーブルがある。そして正面にアバンギャルドのトリオがあった。その存在感 に圧倒されしばらく立ち尽くした。口をポカンと開けていたと思う。スピーカーの置いてあるフロアは2階部分が吹き抜けになっていて、 まずその大きさと輝きに驚いたのだ。大きさを例えるならパイプオルガンの迫力であり、輝きを例えるならやはりパイプオルガンの金属パ イプのそれであった。
椅子は余裕を持った配置でほとんどがスピーカーに向かっている。ポカンと開けた口を閉じることに気づいたのは椅子に座ってからであ る。両側の天井まであろうかという書棚にはスイングジャーナルが50年分くらい、他にジャズに関した本が並んでいた。左手にはアルバム が30枚ほどディスプレイされていてリクエストを受け付けていた。
私はコーヒーをオーダーすると、スピーカーの前まで行った。カタログで見た3ホーンとウーハーで構成されたトリオだっだ。土台はコンクリートで固められていて、ケーブル類もすべて美しく整理されている。左の壁には今月誕生日のジャズアーティストのリストが貼ってあった。ジャズ好きをアピールするものに出会うのは嬉しい。
コーヒーは2杯分をポットで持ってくる。ポットは手作りのウォーマーで包まれ、お菓子がつく。水のグラスのセンスといい、お店の人 (女性は清楚、男性はイケメン)といい実に洗練されている。
かつてジャズ喫茶のアイデンティティーは「無愛想」にあった。上野の「イトウ」、浅草の「フラミンゴ」、四谷の「いーぐる」みんな 無愛想だった。しかしそれが愛情だった。時代は当然のごとく変遷(Transition)するのだ。(誰かの名誉のために付記するなら、イトウのママさんは親切で愛想がよかった)
ターンテーブルを見に行った。イギリスのAVIDのフローティングタイプのベルトドライブのものである。アンプ類はイソテリックとアキ ュフェーズである。すべてが凄いのだ。その背後の壁はレコードで一杯。ただレコードの外見は綺麗。輸入盤専門ではないようだ。
するとお店のオーナーであろう若い女性がにこやかに近づいてきてリクエストをしてくれと言う。今まで何年も聴いてきたもので比べて みたいと思いレコードリストを手にとった。まずサヒブ・シハブを探したのだが1枚もなかった。サヒブ・シハブのジャズサヒブは、 as,ts,bsと揃っているしバリトンの低音の再生にパワーが必要なのだ。逆にカンバセーションと同様、正当に評価されていないアルバムの 代表だと思う。
次にソニー・クリスのリストを見たが、聴きたかったアイル・キャッチ・ザ・サンも無かった。1曲目のアルトの立ち上がりがとっても 素晴らしいアルバムで、色々な所で聴いた。琴似、札幌、青森、香里園、稲毛…フィル・ウッズの「アライヴ・アンド・ウェル・イン・パ リ」も無かった。アグレッシブなものは置いていないのかとコルトレーンを見ると、何枚かある。アブストラクトがないのかと思うとチッ ク・コリアの「サークル」があり、コレクションに系統はないようだった。
色々リストを繰った結果、ミッシェル・ペトルチアーニの「イスターテ」をリクエストした。
レコードはさきほどのオーナーと思われる女性がかけるのだが(かつてはお皿係りと言いある種の権威があるパフォーマンスだった。私 もフラミンゴでお皿係りをやっていた時期がある。客が私の方を見る快感があった。)、彼女が全くジャズ喫茶を意識していない、あるい はジャズ喫茶に関して知見がないことが分った。
まず、私はリクエストカードに記入したのだが、レコードを探すのに時間がかかるからなにかインフォメーションが欲しいという。彼女 が言うには妹がいれば早いのだが、ということだった。私はピアニストだと告げた。
次に、彼女はかかっていたヴォーカルのレコードを途中で止め(!)、私のリクエストをかけたのだ。こんなことはジャズ喫茶ではありえない ことだ。
ようやくアバンギャルドの視覚的脅威から解放されて音を聴くことになった。
ミッシェル・ペトルチアーニの「イスターテ」は、彼が死んだと知った日の夜にいーぐるで聴いたアルバムだ。また、彼が東京のブルーノートに出演する予定があり、ある女性と行くことにしていたという個人的感傷もある。
定位に関してはそれほど意識されていないことがわかった。音もそれほど大きくない。しかし、音は粒だっている。ベースの糸巻きから の音が聞こえる。スネアのワイヤーそのものの音が聞こえる。バスタムが実に切れがいい。ピアノに関しても飛ぶ(弾いている位置がジャ ンプするようにかわる)音が聞こえる。これは知らなかった音だ。
もともとホーンはあまり好きではなかった。アルティックのA5、A7などの大きなホーンでヴォーカルを聴かせるシステムは別として、一 般的に「ホーン臭い」からだ。極端に言うとメガホンのような独特の「鈍さ」と「こもり」を感じるのだ。ただ振動板振幅などのメリット は理解していた。このシステムはホーンを全く感じさせないシステムだった。
いい装置では知らない音が聴こえる。プレイヤーのうなり声や、ピアノのペダルの音や、開閉する時のタンポンの音などだ。
これで定位が強調されていれば、エリック・ドルフィーが前にいて、少し右後ろにコルトレーンがいて、その左後方にエルビン・ジョー ンズがいる、と聴こえるのだ。死者が蘇るのだ。
その女性は驚くことにA面が終わると、B面もかけたのだ。
しかも、B面の途中で私の後ろの席に座って「聴いていた」。いい人だ…
あっと言う間の1時間半だった。行きは新幹線だったが、帰りは在来線で静岡へは80分以上かかる。席を立とうとすると凄いピアノデュ オがかかった。ターンテーブルのところへ行きジャケットを見せてもらうと、ドイツグラモフォンのチック・コリアとニコラス・エコノム のインプロビゼーションのデュオだった。 「クラシックレーベルだからあまり耳にできませんよね」などと話し、その店を後にした。その後在来線で静岡へ行き多くの人と会い、講 演を聞き話をしたり交流会で呑んだりしたのだが、全くすべてが上の空だった。ペトルチアーニのピアノが頭の中をかけめぐっていて、最 終の新幹線で品川に着くまでペトルチアーニに占拠されていた。
定義をせずに「いい音」という表現を使うなら、「いい音」は全く別の「時空」を現出するのだ。一瞬の錯覚かもしれないが、その刹那 に生きているのだと思う…ページをめくるとそこに刹那があるかもしれないと思って…





