マジョリティーの呼称 先住民族宣言を受けて 過去ログ転載 | leraのブログ

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マジョリティーの呼称 先住民族宣言を受けて 2007年12月11日

先日、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」のセミナーに出た。それは3時間にわたり熱い時間だった。多くの人が25年も待ったという事実がたいへん重かった。

 そのセミナーの中で、本筋とは離れるが「マジョリティーの呼称」について論議になった。

 日本におけるマジョリティーとは、先住民族あるいは少数民族としてのアイデンティーティーを持たず、異言語アイデンティーティーを持たない多数者のことである。なぜその論議が出てきたかと言うと、アイヌ民族も琉球弧の民族もウィルタなど他先住民族も多くは「日本国籍=日本人」だからである。

 また、マジョリティーは差別するシステム(体制)の側にいる人たちで、また抑圧するシステムの側にいる人たちであり、さらに収奪するシステムの側にいる人たちのことである。

 個人として差別しない人もいるだろうし、収奪しない人もいるだろう。
 しかし、そのシステムの側にいることはそのシステムを支えていることになる。逆にそのシステムの側から離れることは不可能なことなのかもしれない。

 パネリストのU氏は、マジョリティーの呼称について、論争を覚悟で、あるいは刺激する意味で「ヤマト民族」という表現を使いた。その時の会場内の空気を説明することは難しい。ただ「ドキッ」という感じか…

 今まで、和人とかシャモとか言っていた。
 おこがましくて自分からシサム(隣人)とは言わないだろう。
 和人は松前藩体制の時に便宜的に使われたのかもしれないし、シャモは琉球弧の民族や他先住民族や国際的には不適当であろうし、蔑称かもしれない。

 つまり適当な言葉がないのだ。
 マジョリティーを呼称する言葉に適当な言葉がないことこそ、支配の本質を知ったような気もした。

 後の4時間も続いた交流会で、「ヤマト民族」についていろいろの意見があった。

 東北出身の人は大和朝廷を連想するから「ヤマト」は敵対概念だと言うし、アイデンティーティーを持ち得ていないのに「民族」を用いることは混乱するという人もいた。そして誰もが適当な言葉がないことには気がついていた。

 アメリカ合州国では多種のマジョリティーがあるかもしれない。そのうちのひとつがWASPなのだろうか?フランスのように40%以上の人が移民の国の場合、マジョリティーをなんと呼んでいるのだろう。あるいは、マジョリティーという概念はあるのだろうか…