小川紳介 辺田部落から牧野村へ 過去ログ転載 | leraのブログ

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小川紳介 辺田部落から牧野村へ 2007年10月09日

小川紳介を語ることは難しい。
 あらゆる言葉を用いても語りきれないし、語り尽くせないからだ。
 また、知人も小川作品に出ているし、内部の話も聞いた。無論いい話ばかりではないからだ。

 人によっては牧野(まぎの)村以前と以後とに分ける。
 私は辺田部落から牧野村は確実に繋がっていると思っている。成田闘争の渦中の映画作りの中で、その地域について目を向けたのが辺田部落そのものだからだ。

 小川プロが成田から牧野に文字通り移り住んで、稲を撮り、雪を撮り、養蚕を撮る。それも執拗に撮る。キャメラマンに恵まれたからこそ撮れたのだと思う。

 小川の製作プロセスは撮り逃げではなく、そこに住んでしまうことであった。住むことによって初めてキャメラは横位置(「現認報告書-羽田闘争の記録」の製作ノートでこう言っている。「権力との衝突の際に(キャメラは)決して警察権力と学生との間に、横位置に、居るべきではなかった」)にならないことを証明したのだと思う。

 住んでしまうこと、生活を「現場」に移すこと、それがどれほど深い意味があるか、小川の作品に接すると誰もが瞬時にして感得することであろう。「中」に入ることによって、人々が本当の言葉で話し始めるのだ。本当の言葉を聞くには、本当の言葉を聞く耳を準備しなくてはならない。それが「中」に入ることなのだ。

 しかし、外から「中」に入るのではない。「中」に入って初めて元々「中」に居た事を知るのである。その発見が言葉を見出し、顔を見出し、映像を紡ぎだすのだ。

 小川プロは「辺田部落」のフィルムを持って山形へ行き、そこで真壁仁に会う。(驚くことに真壁仁は現在は中学の教科書にも載っている)そこで、なぜ「労働」が撮れないのかと追及される。それが牧野村へ移住する契機となったと言う。

 それが作品「牧野物語・養蚕編」「牧野物語・峠」「ニッポン国古屋敷村」「1000年刻みの日時計・牧野村物語」に結実していく。

 私は、高崎経済大学から牧野村へ実は連綿と続く「土の記憶」「雪の記憶」ではないかと思っている。