精神現象学でいう「承認願望」とロマンチスト | leraのブログ

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精神現象学でいう「承認願望」とロマンチスト





 人は何故ブログを書いたり、日記をネットで公開したり、ツイッターで今していることを呟いたりするのだろうか?


 その疑問を呈している私も今これを書いている、なう。



 例えばツイッターで

「髪染めようかな?」

 とかなり個人的なことを呟くケースはそれほど珍しくない。

 この目的は何なのたろう?あるいはこの心理はどこから来るのか?




 ヘーゲルは『精神現象学』の中でこのような心理を「承認願望」と分析している。

 簡単に言うと人は他者からの承認を必要としているということだ。



 その「承認願望」が人の望むストーリーを作り出すと竹田青嗣氏が朝日新聞の耕論(422日)で言っている。




 近代社会の一般的欲望は「自由」(職業選択、思想信条、恋愛)で、これが実現した後に一般化したのは「承認」への欲望だと言う。

 人間の欲望は承認されて実現する。

 よって快楽への欲望が「みんなから認められたい」「祝福されたい」という承認への欲望へと移行していくのは自然なこと。


 氏はそこから佐村河内氏と小保方氏の「物語」を引き合いに出し、「不幸な境遇にあったり」「平凡に見える人」ががんばって多くの人々から「承認を得る」枠組みだと言う。



 そして、資本主義社会で「承認を巡る競争」はゼロサムゲームで勝者は常に少数になる。つまり多くは挫折を体験することになる。


 ところが「恋愛」が非日常的な体験ではなくなったことや、欲望が「理想」という形で結晶化しないため(かつての共産主義社会を理想化したような)「若い時に挫折し、自らの欲望をかみ殺す」という重大な体験が起こりにくく、挫折の希薄化から「いつかはみんな認められる」「夢はかなう」というナイーブなロマンチシズムが蔓延しているのではないか?と指摘する。



 「夢はかなうもの」と思い続けたいために、うさんくさい話を疑うリアリズムを身に付けていない。


 だから「物語」をあっさり信じ、裏切られると憤る。



 挫折がない、それゆえに自らの欲望と現実社会の折り合いをどうつけるかという筋道がはっきりしない。これは現代に固有の危機。




 私は竹田氏の説にストーカーも視野に入ってしまう。

「挫折したくない」「承認されたい」という強い願望である。




 実は「ロマンチスト」は資本主義社会が必要としているのだ。

 なぜなら、資本主義は欲望を欲望するからだ。

 挫折し「諦めた」人はいらないのだ。


 JKリフレでプロレス技をかけてもらったり、耳垢を取ってもらって、それを恋愛だと思ったり、ブランド品を買って一瞬の甘い成功感を得たり、そういった人を必要としているのだ。



 さて、私も今これを書いていることは「承認願望」があるということ。


 誰に何を認められたいのだろう?

 何か自分の無意識界を探るようで気味が悪い。