季節を感じることで意味が深かったことは春の訪れである。
厳しい冬を越したからだ。
哀愁のカウボーイ映画『モンテウォルシュ』でそのセリフがあった。
この意識は現代では希薄になっている。
暦は江戸時代とは異なるが、江戸時代の暦だって整合性があった訳ではない。閏月があったし、大の月と小の月は毎年変わった。この暦の出版元が利権になったことは、近松門左衛門の『大経師昔暦』に詳しい。
ただ二十四節季は江戸時代も現代もほぼ同じだ。
そして風物で季節を感じた。
特に料理で季節を感じる事が多かった。
「はしり」「旬」である。
歌舞伎『梅雨小袖昔八丈』では、初かつおのやりとりが不自然なほど多い。ただ外題は「梅雨」なので春とは言いにくい。
花札の意匠では「柳に燕」であろうが、花札の月としては十一月だが、これは花札の方が便宜上そうしているだけ。元々花札は花鳥風月ではない。猪は冬だし、桐の花は12月には咲かない。
津国屋で食した料理は、「ワカサギのマリネ野菜ソース」
素揚げしたワカサギが春野菜の上に乗っていて、マリネになった野菜をみじん切りにしたソースがかかっているというもの。
ワカサギ漁と言うと、今井正監督の『米』の霞ヶ浦を連想する。
しかし春は明るいばかりではない。
春憂歌があるのは日本(その時の国名は日本ではないが)だけか?
