映画『地の群れ』
プロットのスゴサにたじろぐ。
事件は少女強姦事件だが、加害者は長崎の被爆者部落(映画中ではピカドン部落という言い方もしていた)の男。被害者は被差別地域の女性。犯人は口止めをしようとし「部落(被差別地域)であることをバラす」と脅かす。
戦後復興のシンボルとして復興団地が出てくるし、安保条約の具現化として自衛隊艦船の行き来や米軍航空機の飛行や米海軍キャンプが出てくる。
戦後とは、どんな人々を置き去りにしてきたのだろう?安保条約は何を隠蔽しようとしたのだろうか…
朝鮮半島出身の徴用工問題も出てくる。そして、女であることの二重の差別。
被爆者部落(二次被爆の患者の診察をする)や被差別地域(被害少女に診断書の作成を依頼される)両方に関わりを持つ医師は、戦中徴用先の炭鉱で朝鮮半島出身の女性を妊娠させ自殺に追い込んでいる。また日共系の医師になってから密告問題の責任を友人になすりつけている。
解放同盟の資料によると浦上にあった被差別地域は原爆で壊滅的な被害を受けたという。その象徴か映画の中に天主堂取り壊しを皆で眺めているシーンがあった。
戦争の被害者は常に市民であり、子どもであり、女性である。
そして、「血」(生物学的な血液のことではない)の問題。
この血の問題が悲劇をもたらす。
被爆者部落の者は被差別地域の者の血の問題を言い、被差別地域の者は被爆者の腐った血は代々続くと言う。
反省のなかった戦後が遺棄したものの一部を表現したように思えた。
多くの犠牲者を切り捨てたことにより反省も遺棄したのだ。
「その被爆者部落の青年」は、被害者少女が高校の後輩であり自らも強姦犯人の嫌疑をかれられたことから犯人を示唆し、そのことで仲間を売ったとして部落から追われる。
そして、被差別地域の者からは犯人の一味として追われ、逃げる。それは彼が「血」の問題で石を投げているだ。
走って逃げる先で迷い入るのは、米海軍基地であり、復興団地の近代的建物である。彼には行き場も逃げ場もない。
撮影はほとんどロケーションであり、説得力を持つ。
1970年えるふプロダクション、ATG
監督・脚本:熊井啓。原作は原一男監督の『全身小説家』の井上光晴(兼脚本)、出演陣は民芸、前進座